競馬の三冠馬とは?歴代の三冠馬一覧と条件などをあわせて紹介!
長い競馬史の中で、特定のレースを勝った馬は三冠馬の称号が得られます。
日本の競馬史において、三冠馬のタイトルを手にした馬はたったの8頭です。
ここでは、三冠馬についてかんたんに説明した上で、歴代の三冠馬を紹介し、三冠馬になるための条件をまとめました。
三冠馬とは?
クラシックレースである「皐月賞」「ダービー」「菊花賞」を勝利した馬が三冠馬のタイトルを手にします。
日本競馬におけるクラシックレースは「皐月賞」「桜花賞」「ダービー」「オークス」「菊花賞」です。
このレースはいずれも3歳時しか出走することができないので、三冠馬になるには生涯に一度しか出走できないレースで3勝しなくてはなりません。
想像以上に三冠馬の条件は高いです。
また、牡馬は桜花賞とオークスに出走できないので、三冠馬になるには必然的に皐月賞・ダービー・菊花賞に出走する必要があります。
歴代の三冠馬は8頭!
2021年時点で三冠タイトルを手にした馬は8頭います。
歴代の三冠馬を全頭紹介します。
セントライト
(引用元:https://www.jra.go.jp/gallery/dendo/horse02.html)
初代三冠馬となったのは戦前に活躍したセントライトです。
通算成績は12戦9勝と、いまでも十分通用するほどの優れた戦績をもっていますね。
デビュー時は7番人気でしたがあっさり完勝すると、次走に選択した横浜農林省賞典四歳呼馬(現在の皐月賞)をあっさり勝利します。
そして、ダービーでも2着馬に8馬身差をつけて完勝し、最後のクラシックとなった京都農林省賞典四歳呼馬(のちの菊花賞)も完勝しました。
菊花賞の後は、当時ダービーと並んでもっとも格式のある帝室御賞典という中山で開催されるハンデキャップ競走に挑むプランが組まれました。
ところが、それまでの戦績から、セントライトがもし帝室御賞典に出走するとなると、72キロの斤量を追うことが判明します。
オーナーは「4歳(現在の3歳馬)にそれほどの斤量を背負わせるのは酷」として、セントライトを引退させました。
1941年にデビューを果たしたセントライトは三冠タイトルをつかみ、その年に引退したのです。
引退後は種牡馬としても活躍し、史上2頭目の三冠馬となるシンザンが菊花賞を制した数か月後に亡くなりました。
シンザン
(引用元:https://www.jra.go.jp/gallery/dendo/horse09.html)
セントライト以来の三冠馬でもあり、戦後初の三冠馬となったのはシンザンです。
鉈の切れ味とも呼ばれるその鋭い末脚で、三冠タイトルのみならず、天皇賞や有馬記念といった、当時の牡馬が取得できるG1レースをすべて勝利しました。
8大競走のうちの5つのタイトルを手にしていたことから「五冠馬」とも呼ばれ、シンザン以降の競馬界では「シンザンを超えろ」のキャッチフレーズを基に、競馬関係者は切磋琢磨しました。
シンザンは生涯で19戦し一度も連対から漏れておらず、19戦連対記録はいまだに破られていません。
また、種牡馬としても活躍し、当時ブームだった外国種牡馬に負けない産駒を多頭輩出しました。
国内馬の需要回復に貢献したシンザンは、国内種牡馬の見直しにもつながり、のちにトウショウボーイやアローエクスプレスが種牡馬入りできた要因にもなっています。
シンザンがなくなったのは1995年、老衰のために亡くなりました。
競走馬としては長寿ともいえる35歳の大往生でした。
ミスターシービー
(引用元:https://www.jra.go.jp/gallery/dendo/horse13.html)
シンザンの活躍から19年後、新たな三冠馬となったのはミスターシービーです。
父はトウショウボーイで、シンザンが開拓した国内種牡馬の需要背景のもとに誕生した三冠馬ですね。
ミスターシービーの競馬スタイルはおおまくりからの追い込み競馬です。
皐月賞では田んぼのような不良馬場のなか、追い込み競馬で勝利し、ダービーでは直線に入る際、ほかの馬と接触しながら勝ち切りました。
最後の一冠となった菊花賞ではそれまでの定石だった「淀の坂はゆっくり上り、ゆっくり砕く」競馬を無視したロングスパートで見事勝利を手にしています。
常識外れの競馬と、端正な顔立ちから、1980年代を代表するアイドルホースとなったミスターシービーは、競馬ブームの火付け役にもなります。
このブームは翌年に誕生した無敗の三冠馬であるシンボリルドルフにも引き継がれ、最終的には地方笠松から中央に乗り込んできたオグリキャップのラストランである有馬記念まで継続しました。
シンボリルドルフ
(引用元:https://www.jra.go.jp/gallery/dendo/horse14.html)
シンボリルドルフはミスターシービーよりひとつ年下の三冠馬で、日本競馬初となる無敗の三冠を成し遂げました。
ミスターシービーが見ている観客をひやひやさせる追い込み競馬を得意とするのなら、シンボリルドルフはポテンシャルをフルに活かした競馬を得意とし、抜群の安定感でクラシックを駆け抜けました。
なんといってもその安定感がウリで、通算成績は16戦13勝です。
国内ではカツラギエースとギャロップダイナに敗れているものの、のちのレースでその2頭に先着していることや、ひとつ年上の三冠馬であるミスターシービーに勝ち切ったことから、いまだに評価される馬です。
シンボリルドルフはクラシック三冠のみならず、天皇賞、ジャパンカップ、そして有馬記念を連破し、8大競走を7回勝ち切ったことでついにシンザンを超える「七冠馬」の称号を手にしました。
シンザンを越えた活躍を見せたシンボリルドルフは、引退後も種牡馬としてトウカイテイオーを輩出し、競馬界に多大なる貢献をもたらしました。
ナリタブライアン
(引用元:https://www.jra.go.jp/gallery/dendo/horse24.html)
シンボリルドルフ以来の三冠馬となったのは、半兄にビワハヤヒデをもつナリタブライアンです。
この馬は意外と臆病なところがあり、新しい景色を見るとびっくりしてしまうことがありました。
しかし、鼻につけるシャドーロールという馬具を装着してからは一転、周りの景色に振り回されることなく、思う存分能力を発揮しました。
その実力は後続との着差を見れば一目瞭然です。
皐月賞では3馬身差で勝利し、ダービーは5馬身差、菊花賞に至っては7馬身差で圧勝しました。
兄であるビワハヤヒデに引けをとらない競馬で瞬く間に競馬界の中心に立ったナリタブライアン。
しかし、古馬になってからは怪我に悩まされました。
マヤノトップガンとのマッチレースとなった阪神大賞典こそ勝利しているものの、G1タイトルを手にすることなく引退しました。
また、種牡馬入りしてまもなく胃破裂のためにこの世を去りました。
2021年の種牡馬入りしたコントレイルをのぞけば、歴代の三冠馬で唯一後継種牡馬を残せなかった三冠馬です。
ディープインパクト
(引用元:https://www.jra.go.jp/gallery/dendo/horse28.html)
ナリタブライアンの活躍から10年ほどの歳月が経ち、彗星の如く現れたのは史上2頭目となる無敗の三冠馬、競馬にくわしくない人でも名前は聞いたことがあるであろう名馬中の名馬、ディープインパクトです。
デビューから手綱を握った武豊騎手ははじめて騎乗した際、「この馬はほかの馬とは違う」と興奮気味に話されたそうです。
武豊騎手を興奮させるディープインパクトの走りは、飛ぶような走法です。
後ろ脚で地を蹴ったあとの滞空時間と前に向かおうとする推進力がほかの馬より長く、一流ジョッキーの武豊騎手でさえ舌を巻くほどでした。
そして、飛ぶような走りでディープインパクトは無敗の三冠タイトルを手にし、シンボリルドルフ以来の無敗の三冠馬となりました。
古馬になってからも勢いが衰えることはありません。
天皇賞(春)や宝塚記念、ジャパンカップに有馬記念といったビッグレースを手にしたディープインパクトはシンボリルドルフに並ぶ、史上2頭目の七冠馬となりました。
4歳の時点ですでにG1タイトルを7つ獲得したディープインパクトはまだまだ活躍できましたが、ディープインパクトが生誕した時期に亡くなったサンデーサイレンスの後継者として、ディープインパクトが浮上しました。
身体的な衰えはまったく見せていませんでしたが、種牡馬になるため、わずか4歳で競走馬を引退します。
引退後は種牡馬として、そして、ポストサンデーサイレンスとして活躍し、数多くのG1馬を輩出しました。
オルフェーヴル
(引用元:https://www.jra.go.jp/gallery/dendo/horse31.html)
ディープインパクトがつねに好成績を収める優等生だとしたら、オルフェーヴルは史上最強のやんちゃ坊主でしょう。
とにかく気性が荒く、幾度となく主戦の池添騎手を振り落としたオルフェーヴルは史上7頭目となる三冠馬です。
好走と凡走が激しく、本人がやる気がなければ例え人気を背負ったとしても惨敗することもしばしばありましたが、一度闘争心に火がつくと、どんな大舞台でも結果を残しました。
オルフェーヴルの走りは、父ステイゴールド譲りのスタミナとパワーを活かした力強い競馬を得意としています。
中距離から長距離にかけて、距離適性を開花させたオルフェーヴルは、阪神大賞典でホームストレッチからのまくりを仕掛けたり、ジャパンカップにてジェンティルドンナにタックルされながらもスパートをかけ、競馬界を盛り上げました。
さらには、日本馬にとって大きな壁として立ちふさがる凱旋門賞で2年連続2着に入選し、引退レースとなった有馬記念では2着に入選したウインバリアシオンに8馬身差の圧勝で、出し切ったら紛れもなくほんものでした。
引退後は、それまでの気性難がなりをひそめ、従順に種牡馬生活を送っているようです。
コントレイル
(引用元:wikipedia)
父にディープインパクトをもつコントレイルは競馬史上初となる、”親子で”無敗の三冠馬を成し遂げた馬です。
デビューから抜群のパフォーマンスを発揮したコントレイルは東スポ杯2歳ステークスを楽勝すると、暮れのホープフルステークスも圧勝します。
3歳になってからも同期のサリオスを赤子扱いする競馬で皐月賞、そしてダービーを制覇しました。
菊花賞こそ距離適性が不安視され、アリストテレスのマークに苦心しましたが、なんとか振り切って三冠タイトルを手にしました。
注目された古馬初戦は大阪杯を選択します。
ところが直前の雨の影響でタフな馬場となり、3着に入選すると、続く天皇賞(秋)でも一つ年下のエフフォーリアに差されました。
古馬になって勝ち星をつかめていないコントレイルは前年に死去したディープインパクトの後継種牡馬になるため、父ディープインパクトと同じく、4歳での引退が発表されました。
引退レースに選択したのはジャパンカップです。
究極的に仕上げられたコントレイルはこの年のダービー馬であるシャフリヤールや、勢いに乗るオーソリティをかわして見事優勝し、最終的にG1タイトルを5つ手にして引退しました。
引退後、種牡馬入りしたコントレイルの種付け料は1,200万円に設定されました。
種牡馬入りした直後のディープインパクトと同じ価格設定です。
今後、父に匹敵する産駒を輩出できるのか、注目が集まります。
三冠馬になるための条件
歴代の三冠馬に共通することは菊花賞、ダービー、そして菊花賞を手にしており、一年のうちにこの3つのタイトルを手にしなければ、三冠馬にはなれません。
このうち、2つのG1を手にした馬は二冠馬と呼ばれています。
有名な馬でいうと、ドゥラメンテやゴールドシップが挙げられますね。
牝馬は三冠馬になりえない?
今回紹介した馬はいずれも牡馬です。
実は、過去にクラシックタイトルを3つ手にした馬がいます。
相当昔の馬になりますが、牝馬のクリフジはダービー、オークス、菊花賞と、3つのクラシックレースを制しましたが、現在まで三冠馬にカウントされていないところを見ると、三冠馬になるには必ず皐月賞、ダービー、菊花賞を制さなければいけないようです。
桜花賞・オークス・秋華賞を制した馬は牝馬三冠の称号が得られる
牝馬しか出走できない桜花賞、オークス、そして秋華賞を制した馬が牝馬三冠、もしくは三冠牝馬の称号が与えられます。
牝馬限定戦を一年のうちに3勝することもなかなか容易ではなく、それを制するだけでも十分すぎるほどの実力を持っています。
ちなみに過去に牝馬三冠を制した馬は6頭います。
メジロラモーヌ、スティルインラブ、アパパネ、ジェンティルドンナ、アーモンドアイ、デアリングタクトが過去の牝馬三冠を成し遂げました。
メディアによっては牝馬も三冠馬として紹介している
一部のメディアでは、牝馬三冠を成し遂げた馬を三冠馬として紹介することもあります。
例えば、2020年のジャパンカップにおいて、三冠タイトルを手にしたコントレイル、デアリングタクト、そしてアーモンドアイが参戦を表明した時は、三冠馬3頭の激突として注目されました。
変則三冠馬も存在する
皐月賞、ダービー、菊花賞以外の3歳限定G1競走を手にした馬が該当します。
先ほど紹介したクリフジは三冠馬扱いこそされていませんが、変則三冠を成し遂げた馬として、現在も語り継がれています。
また、NHKマイルカップからダービーを制したキングカメハメハやディープスカイは変則二冠馬を成し遂げた馬として認知されています。
まとめ
三冠馬は一年のうちにG1タイトルを3つ手にし、また、同世代との対決を3度制さなければいけないため、ハードルが非常に高いです。
歴史の長い競馬において、三冠馬が8頭しか誕生していないことからも、よほど能力が高いか、もしくは同世代に恵まれていなければ、三冠馬になるのは難しいです。
しかしながら、多くの三冠馬は古馬になってもG1タイトルを手にしているので、紛れもなくポテンシャルを秘めている馬であることは事実です。
今後、どのような三冠馬が生まれるのか、注目したいですね。