過去の伝説となった追い込み馬のレースを紹介!【動画で紹介】

過去の伝説となった追い込み馬のレースを紹介

追い込みという脚質は逃げ馬と並び競馬ファンにとっては人気の脚質でもあり、直線で他の馬をごぼう抜きする走りは非常に豪快で迫力があります。

そんな追い込み馬が勝ったレースの中には、多くの競馬ファンが納得する豪快な勝ち方から、過去に伝説と言われたレースがいくつかあります。

この記事では伝説と呼べる中でも特にインパクトのある勝ち方をした追い込み馬のレースを解説していきます。

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ゴールドシップと皐月賞

ゴールドシップは綺麗な芦毛の馬体に加えて、GⅠ6勝の実績や当時初となる宝塚記念の連覇達成など、実績面からも一流の名馬と呼ばれています。
多くの競馬ファンに人気の競走馬でしたが、その人気の1つが数多くの伝説と言えるエピソードを残していることです。

そんなゴールドシップの数ある伝説の中でも最初の伝説となったのが、後に「ゴルシワープ」とも言われることになった2012年の皐月賞です。

この年の皐月賞は稍重の馬場の中で行われますが、前日の雨の影響から内側の馬場の荒れが目立ち、道中も多くの馬が内馬場を避けてレースを行うことになります。

ゴールドシップは後方に待機する中で3コーナー手前から進出を開始します。
4コーナーでは多くの馬が荒れた内を避けて外に持ち出しますが、同馬は荒れた内馬場を選択し直線では一気に3番手に進出し、そのまま後続を振り切り見事この年の皐月賞馬となります。

このレースでは上述の通り4コーナーで多くの馬が外に持ち出したことで、反対に内を突いたゴールドシップは最もコースロスの少ないレース運びとなり、4コーナーのコース選択がレース結果の明暗を分けた形となりました。

3コーナー進出時は17番手という最高に近い位置取りの中、4コーナーでは6番手、そして最後の直線に入ると3番手に一気に位置取りを進めていることから、レース展開の恩恵こそあるもののコーナーワークで延べ14頭を抜き去った形となりました。

このように2012年皐月賞は、直線でいきなり先頭集団に位置していたことから、後に「ゴルシワープ」と呼ばれるゴールドシップ伝説の幕開けといえるレースとなります。

その後もゴールドシップは、3歳で菊花賞と有馬記念を勝利し最優秀3歳牡馬に選出されますが、数多くの騎手変更や突如の大敗など、激しい気性とムラのある成績でした。

後に2021年クロノジェネシスが達成するまでは唯一となる、宝塚記念連覇の記録を持っていたゴールドシップは、同レースの3連覇をかけて2015年に宝塚記念に挑むことになり、多くの競馬ファンが偉大な記録達成を期待し同馬は1番人気に支持されます。

しかしこのレースでは残念ながらスタートと同時に立ち上がってしまったことで15着と大敗してしまいます。
同馬の絡む多くの馬券がスタートで紙屑となってしまったことから「120億事件」と後に呼ばれ、「ゴルシワープ」と並びこちらもゴールドシップを代表する伝説の1つです。

タマモクロスと京都金杯

後に国民的アイドルホースとも呼ばれ、第2次競馬ブームの牽引役として昭和の終わりから平成初期にかけて絶大な人気を誇っていたオグリキャップの、初期のライバルとして有名なのがタマモクロスです。
「白い稲妻」と呼ばれた父シービークロスと同じく、同馬は生粋の追い込み馬として競馬ファンには知られています。

タマモクロスは4歳(現3歳)の3月とデビューも比較的遅く、ダートを中心に使われることになりますが、未勝利戦こそ勝ったものの成績は伸び悩んでいました。

しかし10月に久々に芝のレースに使ったところ、直線追うことなく7馬身差の圧勝劇を演じ、これ以降破竹の8連勝を飾ることになります。
今回追い込み馬伝説のレースとして紹介するのは、タマモクロスが4連勝目を飾ることになった1988年1月に行われた京都金杯です。

前走格上挑戦の中で稍重馬場ながらもコースレコード勝ちとなった鳴尾記念勝利により、このレースではトップハンデながらも前走の勝ちが大きく評価され1番人気に支持されたタマモクロスですが、スタートで後手を踏みレースは直線まで後方集団で追走する形となります。

直線に入ると16頭中の15番手の中、前が塞がれながらも馬群を捌き直線から前の馬全てをゴボウ抜きする形となる鋭い末脚で勝利を収めます。

当時の鞍上だった南井騎手は「4コーナーでもう駄目だと思った」と、後に振り返っていることからわかるように、誰が見ても絶望ともいえる状況の中、脅威の末脚で馬群を縫うように直線だけで他馬を交わし勝ったことで、このレース以降父と同じく「白い稲妻」と競馬ファンから呼ばれるようになります。

その後タマモクロスは阪神大賞典・天皇賞春を制覇し6連勝。
7連勝をかけた宝塚記念では、天皇賞秋やマイルCS・安田記念を勝利しマイルの帝王とも呼ばれていた、当時中距離では最強と言われていたニッポーテイオーを直接対決で下します。

距離の面でニッポーテイオーに分があると思われていたのか、タマモクロスは2番人気に甘んじる形になりますが、レースはスタートで遅れるものの道中は中団に構え、最後の直線でニッポーテイオーを並ぶ間もなく大きく突き放しました。

7連勝となったこの宝塚記念は、ニッポーテイオー陣営から「相手が強いとしか言いようがない」と言わしめるほどに強い勝ち方であり、タマモクロスはこの時点で文字通り現役最強馬の称号を獲得します。

その年の秋には当時中央移籍後6連勝中だったオグリキャップと天皇賞秋で初の対決となり、このレースでは従来の追い込み脚質ではなく先行策で、見事オグリキャップに中央初黒星をつけ天皇賞秋を制覇。

1981年天皇賞勝ち抜け制度が廃止されて以降初となる天皇賞春秋連覇の快挙を達成し、タマモクロスは破竹の8連勝を飾ります。

その後2度のオグリキャップとの名勝負を経て、同年の有馬記念でタマモクロスは引退となりますが、この両馬の3度の対決は芦毛対決として、後世の競馬ファンの間で今も語り継がれており、後の第2次競馬ブームを引き起こす大きなキッカケとなっています。

そんなタマモクロスの純粋な追い込み馬としての伝説のレースとも言えるのが、今回紹介した1988年の京都金杯です。

ヒシアマゾンと京都大賞典

牝馬ながらも強烈な追い込みが話題となり、多くの競馬ファンに人気のあったヒシアマゾンですが、この馬は3コーナー手前から大外をまくる強引な競馬でいくつもの勝ち星を挙げています。

同馬のベストレースとしてはクリスタルカップやエリザベス女王杯を挙げる人も多いですが、ヒシアマゾンの純粋な追い込み馬としての伝説のレースは、古馬となって完全復活を遂げた1995年の京都大賞典です。

ナリタブライアンと同期ながらも3歳(現2歳)で牝馬女王に輝いたヒシアマゾンですが、外国産馬ということで、当時はNHKマイルカップもなく、またクラシックや天皇賞には外国産馬は出走することができなかったため、4歳(現在の3歳)春は過去のオグリキャップと同じく裏路線で連勝街道を続けます。

その後秋になると当時は芝の2400mで行われ、クラシックながらも唯一外国産馬が出走可能だったエリザベス女王杯を制覇し念願のGⅠタイトルを獲得。
そして次走の有馬記念で同期の3冠馬ナリタブライアンの2着に入ることで、現役最強牝馬の称号を獲得します。

しかしヒシアマゾンはその後アメリカ遠征を行うものの、レース直前に脚部不安で帰国することになります。
遠征の疲れかもあったのか帰国後の当時GⅡ芝2000mで行われていた高松宮杯は、不本意な逃げのレースとなり敗北し、同馬が持っていた12連対というパーフェクトの記録もここで途絶えてしまいます。

しかし、次走の秋のオールカマーを本来のまくりの形で勝利すると、いよいよ秋2戦目として1995年京都大賞典へ駒を進めます。

今回紹介するこのレースは、アイルトンシンボリやGⅠ馬レガシーワールド・マーベラスクラウン、有馬記念3年連続3着の記録を持つナイスネイチャなど骨っぽいメンバー構成の中、ヒシアマゾンは単勝1.4倍という圧倒的1番人気に支持されます。

道中は後方に構え3コーナーでも大きくまくることなく、4コーナーで11番手から加速し大外を回る形で直線に向くと、10頭全てを大外から直線で抜き去りるという圧巻の競馬で圧勝し、見事1番人気に応えます。

ヒシアマゾンが追い込み馬として現役最強であることを見せつける形となる、圧巻のレースパフォーマンスで京都大賞典を見事勝利することとなったのです。
現代では大レースを勝てる能力を持つ強い牝馬は増えてますが、グレード制導入以降大レースで活躍する牝馬は決して多くはありませんでした。

そんな時代背景の中で有馬記念2着やジャパンカップ2着など、大レースで牝馬として追い込みで牡馬を圧倒する実力を持ったヒシアマゾンは、強い牝馬の先駆けともいえる存在であり、時代の流れを変えた最強の歴代追い込み馬といっても過言はありません。

ブロードアピールと根岸ステークス

ダートの追い込みの伝説のレースとして誰もが挙げるのが、2000年の12月に行われた根岸ステークスを勝ったブロードアピールです。

当時は秋に1200mで開催されていた根岸ステークスですが、この年の春に行われた栗東ステークスを、上がり3F34.1秒という脅威の末脚で追い込み勝ちを果たしていたことで、ブロードアピールはここでも1番人気に支持されることになります。

レースは予想通り最後方からレースを進め、コーナーを前に進むことなく最後方から追走する形となり、直線に入ってもカメラにも写らない程の最後方から、上がり3F34.3秒という脅威の末脚で追い込みをかけ、最後は2着馬を1馬身以上離しての勝利を飾ります。

この2000年の根岸ステークスは当時ネット上でも話題になり、「鬼脚」として多くの競馬ファンが注目することになります。
この34.3秒という末脚は当時ダート1200mの良馬場で勝ち馬としては歴代1位の記録であり、当時の記録であった34.8秒をコンマ5秒近く上回る大幅な記録更新となりました。

後にシルクフォーチュンが2012年に上がり3F34.1というタイムで勝つことでこの記録は破られますが、最後方からの大外の一気の末脚を、一早く捉えたアナウンサーの名実況と重なり、ブロードアピールの2000年根岸ステークスは、ダートの追い込みとして最も伝説のレースといえるのではないでしょうか。

ちなみにブロードアピールはデビューが5歳(現4歳)と非常に遅く、条件戦でのデビューという異質の経歴の持ち主でもあり、芝・ダート共に重賞制覇達成、スプリンターズSでは0.3秒という僅差の4着など、芝でのかなりの実績がありました。

また7歳からはダートを主戦場に活躍し、今回の根岸ステークスを含めダート重賞5勝を達成し、8歳になっても重賞を勝つなど息の長い活躍をみせます。

また血統面ではブロードアピールの4番目の産駒であるミスアンコールは、繁殖入り後にダービー馬となるワグネリアンを出産するなど、2022年以降も後継牝馬の活躍が期待されています。

スノーフェアリーと2011年エリザベス女王杯

2010・2011年のエリザベス女王杯を外国馬ながら2連覇を達成したスノーフェアリーは、当時の競馬ファンに大きな衝撃を与えた1頭です。
この衝撃の理由は日本の慢心であり、当時は特に欧州の馬は馬場の違いから「日本で勝つことは厳しいのでは?」というのが、多くの競馬ファンや競馬評論家の意見でした。

そんな日本の慢心を打ち砕いたスノーフェアリーの2度のエリザベス女王杯勝利ですが、その中でも追い込みで勝った2011年のエリザベス女王杯は海外馬ながらも伝説といえるレースです。

日本国内最初の勝利となる2010年のエリザベス女王杯は、英愛オークス馬という実績を持つスノーフェアリーでしたが、上述の時代背景もあり4番人気という、同馬の実績を考慮するとかなりの低評価の支持となってしまいます。

しかし蓋を開けてみると、外を嫌った他の馬と異なり思い切って内を選択した同馬は、ただ一頭異次元の末脚を見せつけて直線で他馬を大きく突き放し、海外競馬のレベルの高さを競馬ファンに見せつける鮮やかな勝利を飾ります。

そして翌年もスノーフェアリーはエリザベス女王杯に参戦することになります。
前年のエリザベス女王杯では前目につけて開いた内から異次元の末脚で勝った同馬ですが、近走の不振から1番人気に支持されるもののオッズは2.7倍という不本意なオッズで、2011年エリザベス女王杯を走ることになります。

大外18番を引いたスノーフェアリーはスタート後は、前年とは異なり中団よりも後ろに構え、追い込みの形でレースに臨む展開となります。

レースではシンメイフジが大逃げを打ち、アパパネ・アヴェンチュラが早めに抜け出す中、スノーフェアリーは直線では10番手の後方から、前が壁になりながらも最後はワープするかのように、異次元の末脚を発揮し見事エリザベス女王杯連覇を達成します。

日本国内で2度目の勝利となった2011年のエリザベス女王杯は、追い込みによる異次元の末脚を繰り出したスノーフェアリーの伝説ともいえるレースです。

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まとめ

いかがだったでしょうか?
今回は伝説のレースと呼べる中から、追い込みをという視点で紹介してきました。

誰もが認める歴代の最強追い込み馬とは少し異なるかもしれませんが、やはり今回紹介したレースは追い込み馬のレースとして、後世に語り継がれるのに相応しい伝説と呼べるレースではないかと思います。