福永祐一の年収と獲得賞金、これまでの活躍と結婚・家族についても紹介
福永祐一騎手は日本人騎手としては武豊騎手に次ぐ知名度と人気を誇っている騎手で、これまで多くの名馬に騎乗し、結果を残してきました。
本記事では福永祐一騎手の年収や獲得賞金、そしてこれまでの活躍について紹介します。
福永祐一騎手のプロフィール
(引用元:https://www.jra.go.jp/school/jockey/world/int02.html)
福永騎手の基本的な情報について表にまとめました。
生年月日 | 1976年12月9日 |
血液型 | B型 |
初免許取得年 | 1996年 |
初勝利 | 1996年3月2日 |
重賞勝利数 | 199勝 |
G1勝利数 | 45勝 |
初勝利まで
福永洋一氏(引用元:facebook)
お父さんは騎手時代に「天才」と評された福永洋一氏で、親戚にも調教師や騎手が居るという競馬に囲まれたような環境で育ちました。
中学校時代はサッカーに明け暮れていたのですが、二年生ごろより騎手になりたいと考えるようになり、競馬学校に通うことを決意しますが、お母さんに猛反対されます。
お母さんが猛反対したのは、恐らく父親である福永洋一氏が落馬で大怪我をし、あわや命を失うという事態に陥ったことがあるからでしょう。
しかし福永騎手は母親を必死に説得し、最終的に了解を得て競馬学校に入学しました。
ちなみに同期には福永騎手と同じくトップジョッキーのひとりである和田竜二騎手、中央競馬史上初の女性騎手のひとりで現在は評論家、解説者として有名な細江純子さんが居ます。
1996年3月2日にデビューすると初騎乗初勝利という快挙を達成、更にその次の騎乗でも勝利し、デビュー2連勝という快挙を達成しました。
福永祐一騎手のこれまでの活躍を紹介
(引用元:https://www.jra.go.jp/school/jockey/world/int02.html)
福永騎手のこれまでの活躍を簡単ではありますが紹介していきます。
今でこそトップジョッキーの一人となっていますが、これまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。
デビュー2年目での重賞初制覇とG1レース挑戦
デビューした日に2勝するという快挙を達成した福永騎手の勢いは止まらず、最終的には53勝をマーク、最多勝利新人騎手のタイトルを獲得します。
翌年、7月22日に川崎競馬場で開催されたエンプレス杯にて重賞初制覇、さらに11月15日にはキングヘイローで東京スポーツ杯3歳ステークス(現東京スポーツ杯2歳ステークス)で中央競馬の重賞レースでも初勝利するなど、デビュー2年目でもデビュー年と変わらない活躍を見せました。
この活躍を見たファンは早くも福永騎手のことを「天才二世」ともてはやし始めます。
そして1998年、同じくキングヘイローで皐月賞に出走、これがG1レース初挑戦となります。
しかしながら流石に天才と呼ばれた騎手でもクラシックレースに出走するというプレッシャーには打ち勝つことはできませんでした。
特に数ある中央競馬のレースの中でももっとも栄誉あるレースのひとつである「日本ダービー」では、その時の記憶が全くないほど緊張していた福永騎手はあろうことか大逃げを打ってしまいます。
ミス騎乗なのは誰の目にも明らかであり、結局14着と惨敗、ちなみにこの日本ダービーは武豊騎手がスペシャルウィークで勝利、武騎手が初めてダービージョッキーの座に輝いたレースとなっています。
最後のクラシック3冠レースである菊花賞でも横山典弘選手騎乗のセイウンスカイが作ったペースに翻弄されて全くいいところを見せられないまま終了、これらの騎乗によって「親の七光りで良い馬に乗せてもらっているだけ」などと心無い言葉を発する人たちも出てくるなど騎手としての評価を大きく下げることになってしまいました。
G1初制覇するも落馬により大怪我に見舞われてしまう
1999年、プリモディーネに騎乗して桜花賞に出走した福永騎手はレースを先頭でゴールイン、これが福永騎手にとってG1レース初勝利となりました。
ところがその翌週、中京競馬場で開催された小倉大賞典の本馬場入場中に落馬、左腎臓を摘出するという大怪我に見舞われてしまいます。
しかし福永騎手は7月に復帰、年末には朝日杯3歳ステークス(現朝日杯フューチュリティステークス)を制する活躍を見せました。
2001年から7年連続でG1級のレースに勝利
2001年以降、福永騎手は着実にG1レースを勝利するようになります。
- 2001年香港カップを制覇
- 2002年にはクイーンエリザベス2世カップ、JBCスプリント、ハンシンジュベナイルフィリーズ、朝日杯フューチュリティ―ステークスとG1級レースを4勝
- 2003年はクイーンエリザベス2世カップを連覇
- 2004年にはオークスと高松宮記念で勝利
- 2005年にはフェブラリーステークスとG1級レースを6勝
最終的には2007年まで毎年G1レースに勝利しています。
この活躍で福永騎手は名実ともにトップジョッキーの仲間入りをしました。
牡馬クラシックと念願のダービー初制覇
2007年以降しばらくはG1レースに勝てませんでしたが、2010年に阪神ジュベナイルフィリーズで久々にG1レースを勝利すると、2013年にはエピファネイアで菊花賞に勝利、これがクラシックレース初制覇となります。
しかし、これだけG1レース勝利を積み重ねている福永騎手であっても、この時点では日本ダービーを勝利できていませんでした。
もちろん毎年のように有力馬に乗って出走はしているのですが、大事なところでミスをしてしまうという評価をされており、特に2013年のダービーではエピファネイアで悲願のダービー制覇なるかという直前で武豊騎手のキズナに交わされてしまうという屈辱的な敗北を喫してしまいます。
しかし2018年、ワグネリアンでついにダービーを制覇、19回目の挑戦でダービージョッキーの座に輝くこととなりました。
挑戦19回目のダービー制覇は現時点で最多数となっています。
かつての相棒に捧げる勝利と5大クラシック完全制覇
2020年、コントレイルに騎乗した福永騎手は皐月賞に勝利、この勝利で福永騎手はクラシック3冠レースをすべて勝利した騎手となります。
さらにコントレイルは日本ダービー、菊花賞も勝利、福永騎手は初めて3冠ジョッキーという栄誉をも獲得することになりました。
そして翌2021年にはシャフリヤールでダービーを連覇、ダービー3勝は武豊騎手に次ぐ勝利数の多さとなっています。
秋には「スプリンターズステークス」にピクシーナイトで出走して勝利、14年ぶりの3歳馬での勝利という快挙をもたらしたのですが、そのこと以上に話題となったのが、ピクシーナイトがキングヘイローの孫だったという点です。
福永ジョッキーもレース後のコメントで「キングヘイローにようやく恩返しができました」と話しています。
福永祐一騎手の年収とこれまでの獲得賞金について
福永騎手がこれまでどれくらい賞金を獲得しているかについてですが、2011年時点のデータだとおよそ4億7,900万ドルという試算が出ており、これを当時の円相場のボーダーラインである110円で計算すると、だいたい527億円という数字になりました。
広地で500億円以上稼いでいると考えればいかにすごいかが分かるのではないでしょうか。
年収についてはレースの勝利数で大きく左右されるのですが、2021年度はおよそ1億9,000万円ほどだそうです。
福永祐一騎手がこれまで騎乗した競走馬たち
数々の名馬に騎乗している福永騎手ですが、ここではそのうち3頭を紹介します。
キングヘイロー
キングヘイローは中距離、マイル、直距離のみならずダートレースのフェブラリーステークスにも出走、最終的には短距離である高松宮記念にも出走し、このレースで勝利するという他の馬では考えられないような競走経歴を持っていた馬でした。
最初は福永騎手が主戦だったのですが、後に騎手が変更、勝利した高松宮記念でもベテラン騎手である柴田善臣騎乗による勝利でした。
このレースについて、福永騎手は「一番前に居てほしくない馬が前に居た」と話していて、今でも忘れられないレースのひとつとなっていることでしょう。
コントレイル
コントレイルは福永騎手を3冠ジョッキーへと導いてくれた名馬中の競馬です。
古馬になってからはなかなか勝つことができず、ネットでは「最弱3冠馬」などと心無い投稿も見受けられたのですが、アーモンドアイ、グランアレグリア、エフフォーリアなど稀代の名馬と真っ向勝負し、馬券圏内を一度も外すことが無かったコントレイルは間違いなく過去の名馬と比較しても遜色ない能力を持っていました。
引退レースとなったジャパンカップはメンバー的に「勝たなければならないレース」でしたが、力強い走りで見事勝利、レース後に福永騎手は涙を流しながら感謝の言葉を述べていました。
シャフリヤール
シャフリヤールは福永騎手が主戦というわけではありませんが、全盛期のエフフォーリアにただ1頭先着した競走馬として競馬ファンに強烈な印象を残しています。
馬群に囲まれながらも後方から差し切って勝てたのは馬の能力が高かったのももちろんですが、福永騎手の会心の騎乗があってこそでしょう。
福永祐一騎手は結婚している?
福永騎手は2013年に元フジテレビアナウンサーである松尾翠さんと結婚しています。
騎手というのは閉ざされた世界かつ周りがほとんど男性ということもあり、取材などで接する機会が多い女子アナウンサーと結婚するケースというのはかなり多いです。
更に3人のお子さんのお父さんでもあります。
「教えて!祐一先生」が話題に
2021年に関西テレビの企画で「教えて!祐一先生」というYouTube番組が放送されていました。
この番組は福永騎手が自身が実際に出走するしないに関わらず、週末に行われるG1レースの展開予想をしてくれるという番組であり、競馬ファンの間で大きな話題となりました。
実際に福永騎手の読み通りとなったレースもあるなど、その観察眼の高さは実証されています。
2022年時点では再開の目処は経っていませんが、この番組の再開を希望する競馬ファンはとても多いです。
そのほかエピソードなど
(引用元:https://www.horipro.co.jp/fukunagayuichi/)
福永騎手、実は大のテレビゲーム好きとして有名で、少年時代には三国志や信長の野望といったシミュレーションゲームに熱中していました。
競馬ゲームも好きらしく、レース中であっても休憩中にゲームをしている姿も目撃されています。
ちなみに「ウマ娘プリティーダービー」もすでにプレイ済みだそうです。
まとめ
福永祐一騎手は父親が天才騎手と呼ばれていた上にデビュー年から大活躍したということもあり、天才二世と呼ばれていましたが、大舞台ではなかなか思うような結果を出せませんでした。
しかし1度G1レースに勝って以降は着実に勝利数を積み重ねており、日本ダービーでは武豊騎手に次いで多い3勝を挙げています。
これからも様々な名馬に乗り、活躍してくれることでしょう。