横山典弘の年収と獲得賞金、これまでの活躍と結婚・家族についても紹介
横山典弘騎手は武豊騎手よりも先輩にあたりますが、未だに重賞レースでは必ずといってよいほど名前を見かけるトップジョッキーのひとりです。
本記事では横山典弘騎手のこれまでの活躍や獲得賞金、年収について解説していきます。
横山典弘騎手のプロフィール
(引用元:https://umajo.jra.jp/jockey/norihiro_yokoyama.html)
横山騎手の基本的な情報について表にまとめました。
生年月日 | 1968年2月24日 |
血液型 | O型 |
初免許取得年 | 1986年 |
初勝利 | 1984年4月29日 |
重賞勝利数 | 33勝 |
G1勝利数 | 216勝 |
初勝利まで
恐るべき横山一族!
親子三代同一GⅠ制覇
天皇賞(秋)
1969年 横山富雄 メジロタイヨウ
2009年 横山典弘 カンパニー
2021年 横山武史 エフフォーリア天皇賞(春)
1971年 横山富雄 メジロムサシ
1996年 横山典弘 サクラローレル
2022年 横山和生 タイトルホルダー画像は2021年7月18日時点。 pic.twitter.com/l4v1mxDNae
— ダート☆データ (@DIRT_DATA) September 2, 2022
お父さんが中央競馬騎手というだけではなく、叔父さんにも競馬関係者はいるなど、物心ついたころから競馬に囲まれた環境で育ち、お兄さんが騎手を目指していたということもあって、横山典弘騎手も自然と騎手を目指すようになります。
1986年3月1日、中山競馬場のレースでデビューし、12頭立てのレースで2着と健闘、それから約2か月後の4月29日に初勝利を飾ります。
横山典弘騎手のこれまでの活躍を紹介
横山騎手がこれまでどのような活躍をしてきたのかを簡単ではありますが紹介していきます。
特に1990年代後半から2000年代前半には武豊騎手と肩を並べるほどの大活躍をしています。
デビュー3年目で重賞初勝利
1年目は8勝と思うような結果を残すことができませんでしたが、2年目は31勝と大躍進、そしてその次の年となる1988年、ウインターステークスを制し、デビュー3年目にして重賞レースをはじめて制覇しました。
1990年代後半の大活躍
1990年にキョウエイタップでエリザべス女王杯に勝ち、G1レース初勝利を飾ると、翌1991年にはメジロライアンで宝塚記念を制します。
そして1995年には年間130勝を挙げ、はじめて関東リーディングの座に輝きました。
その後も快進撃は留まることを知らず、1996年から2001年まで毎年G1レースを制するという大活躍を見せています。
特に1996年と1998年では1年でG1レースを3勝しており、この時の横山騎手はまさに手が付けられない強さだったといえるでしょう。
2009年悲願のダービーと天皇賞秋初制覇
しかし、数々のG1レースを勝ってきた横山典弘騎手をもってしても「日本ダービー」というレースの壁は厚く、惜しいところまではいくものの、ダービージョッキーにはなれないという日々が続きました。
15回目の挑戦でついにロジユニヴァースにて日本ダービーを制覇、念願のダービージョッキーの座に輝きます。
2009年はその後カンパニーで天皇賞秋も制覇、この時カンパニーは馬齢8歳であり、史上初めて8歳馬が平地競争のG1レースを制覇するという記録を打ち立てました。
この記録は未だ破られていません。
その後、カンパニーの引退レースとなったマイルチャンピオンシップでも1番人気の期待に応えて見事勝利しています。
2010年上半期で重賞二桁勝利達成
2010年は重賞を4週連続で勝利するという離れ業をみせるなど、凄まじいペースで重賞勝利を積み重ね、5月に開催されたヴィクトリアマイルでは早くも重賞10勝目をマーク、これは自身最速の重賞二桁勝利達成となっています。
絶好調だった横山騎手ですが、9月23日のレース中に落馬して負傷、この負傷は騎手生命さえ危ぶまれるほどの重傷でしたが驚異的な早さで回復、11月13日にはレースに復帰しました。
1か月半レースに出走していないのにも関わらず、この年は年間120勝を挙げています。
2016年中央競馬全競馬場で重賞を勝利
2014年、7年ぶりの台覧競馬となった日本ダービーでワンアンドオンリーに騎乗して見事勝利、2度目のダービージョッキーの座に輝きました。
この時は当時の皇太子親王(現天皇陛下)が台覧に訪れていたのですが、親王と横山騎手、さらには勝利したワンアンドオンリーは誕生日が同じでした。
2015年にはゴールドシップで天皇賞春に出走、最後方から「淀の坂」を超えつつロングスパートをかけるという常識では考えられない騎乗をし、見事勝利しています。
そして2016年に新潟記念を勝利、この勝利をもって中央競馬が開催される全10場で重賞勝利を果たした騎手となりました。
また、2017年には函館競馬場と札幌競馬場で開催される8つの重賞をすべて制するという史上初の記録も打ち立てています。
横山典弘騎手の年収とこれまでの獲得賞金について
横山騎手がこれまで獲得した賞金と年収について調べてみました。
獲得賞金は中央競馬と地方競馬の賞金を合わせて約624億円となっています。
年収は勝利するなどで大きく変動するのですが、2021年の年収は4,160万円となっていました。
横山典弘騎手がこれまで騎乗した競走馬たち
横山騎手はこれまでの長いキャリアで数々の名馬に騎乗して結果を出していますが、その中でも特に著名である3頭をここでは紹介します。
メジロライアン
メジロライアンは皐月賞3着・日本ダービー2着・菊花賞3着とクラシックレース勝利まであと一歩届かないというレースぶりであり、年末の有馬記念にも選出されたものの、ここでも4着と惜しいレースを続けていました。
しかし翌年、宝塚記念にて横山騎手の巧みな騎乗であのメジロマックイーンを抑えて勝利、ついにG1勝利馬となります。
それ以降の活躍を期待されていたのですが、元から脚部の不安を抱えていたためそのまま引退することとなります。
最後まで真の実力を発揮できなかった名馬だったといえるでしょう。
セイウンスカイ
スペシャルウィーク、グラスワンダーなど錚々たる名馬たちがしのぎを削っていた98年に活躍した競走馬であり、自由奔放で芸術的なその逃げ切り勝ちは多くの競馬ファンの心に今も刻まれています。
最強世代といわれている時期にあって、皐月賞と菊花賞を制しているのですから、逃げ馬としては歴代最強クラスといってよいでしょう。
セインスカイの芸術的な逃げを演出したのは間違いなく横山騎手の手綱さばきであり、正に人馬一体で勝ち取った勝利だったといえます。
ホクトベガ
ホクトベガはエリザベス女王杯を制したことがありますが、競馬ファンにとってはダートでも規格外の強さが印象に残っており、「砂の女王」の異名をもっていました。
横山騎手が主戦だったというわけではありませんが、ホクトベガは横山騎手が生涯忘れることができない競走馬の1頭となっています。
1997年、ホクトベガは引退レースとしてドバイワールドカップを選択、このレースで横山騎手は鞍上を務めることになります。
ところが最終コーナーで突然ホクトベガは転倒、そのまま予後不良、安楽死という処置がとられてしまいました。
この出来事は横山騎手にとっても非常にショックだったらしく、帰国後は自殺も考えるほどだったそうです。
事故の原因はいまだにわかっていないのですが、横山騎手自身は「自分の強引な騎乗が招いた悲劇だ」と今でも話しており、それ以降決して競走馬に無理をさせるような騎乗はしないでおこうと心に決めているそうです。
レースではよく横山騎手の騎乗している競走馬が最後方でまったく追うこともせずに走っているのを見かけますが。これは無理をさせず、馬の気分のままに走らせている結果なのです。
横山典弘騎手は結婚している?
横山騎手が結婚しているかについてですが、横山騎手が結婚していることは競馬ファンには既に周知の事実です。
横山騎手の二人の息子さんは現在中央競馬のジョッキーとして大活躍しています。
お兄さんの横山和生騎手はタイトルホルダーの主戦騎手として有名で、2022年は天皇賞春と宝塚記念を完勝、その後凱旋門賞にも出走しました。
弟の横山武史騎手はなんといっても2021年のエフフォーリアとの快進撃が忘れられません。
コントレイル、グランアレグリア、クロノジェネシスといった世代最強の名馬たちと戦い、すべて勝利してきました。
その他エピソードなど
競馬ファンの間では「横山騎手が騎乗する馬のことをべた褒めしたら切れ」という格言めいたものがあり、実際に絶賛した競走馬に騎乗すると思うような活躍ができないことが多いです。
また、何かあるか分からないという理由で長年自動車の運転免許を持っておらず、騎手紹介の愛車の欄には「セイウンスカイ」と書いていたのですが、2013年に自動車免許を取得しています。
まとめ
横山典弘騎手はかつて武豊騎手と凌ぎを削っていたベテランジョッキーでありながら、今でも重賞レースには必ずといってよいほど出走しており、武豊騎手と並んでレジェンドジョッキーの1人となっています。
特に1990年代後半は年間G1レース3勝するなど大活躍を見せました。
現在は息子さんである横山和生騎手と横山武史騎手がトップジョッキーといっても良いような活躍を見せていますが、横山典弘騎手もまだまだ重賞レースに勝利するような力を持っています。
いつの日か3人で重賞レース、またはG1レースの馬券圏内を独占するという日が来るかもしれません。