岩田康誠の年収と獲得賞金、これまでの活躍と結婚・家族についても紹介
現在中央競馬で活躍している騎手の中には元地方競馬出身の騎手も何名か存在しており、本記事で紹介する岩田康誠騎手も元地方競馬出身の騎手です。
岩田康誠騎手のこれまでの活躍や獲得賞金、年収などについて詳しく紹介していきます。
岩田康誠騎手のプロフィール
(引用元:https://www.youtube.com/watch?v=6BPVMOxPdqY)
岩田康誠騎手の基本的な情報について表にまとめました。
生年月日 | 1974年3月12日 |
血液型 | AB型 |
初免許取得年 | 地方1991年 中央2006年 |
初勝利 | 2000年9月16日 |
重賞勝利数 | 204勝 |
G1勝利数 | 35勝 |
ちなみに初勝利、重賞勝利数、G1勝利数はすべて中央競馬での成績です。
地方競馬の成績を加算するとこれよりもずっと数は多くなります。
初勝利まで
岩田騎手の実家は姫路競馬場に店を構えるお好み焼き屋さんで、レース後には姫路競馬場からのお客さんが多く訪れていました。
とあるお客さんに「騎手になったらどうや?」と言われたのが、騎手を志すきっかけとなったそうです。
地方競馬の騎手免許を取得し、1991年10月23日に地元園田競馬場でデビューします。
それから6日後の10月29日、同じく園田競馬場のレースにおいて騎手として初勝利を挙げました。
岩田康誠騎手のこれまでの活躍を紹介
岩田康誠騎手が地方競馬時代も含めてこれまでどのような活躍をしてきたのか、順を追って解説していきます。
園田競馬場で無双の活躍
園田競馬時代は特に1990年代後半から手が付けられないほどの活躍を見せていて、岩田騎手と同じく後に中央競馬に移籍する小牧太騎手と共に「園田の二本柱」と呼ばれる一時代を築き上げました。
2000年にはそれまで8年連続でリーディングジョッキーだった小牧騎手の勝利数をはじめて上回り、兵庫リーディングジョッキーに輝いています。
中央競馬に完全移籍するまでの間に、地方競馬では2941勝を挙げました。
地方競馬騎手時代でも中央競馬で活躍
岩田騎手は中央競馬に移籍する前から地方競馬の騎手として中央競馬のレースにも参戦しており、2002年には重賞レースのひとつであるセントウルステークスを勝利、これが中央競馬の重賞レース初制覇となっています。
更に2004年にはデルタブルースで菊花賞を制覇、地方競馬の騎手が中央競馬の競走馬に騎乗してクラシックレースを制覇したのは岩田騎手の勝利が史上初めてです。
本格的に中央競馬へ移籍
2006年、本格的に中央競馬に移籍すると中央競馬でも地方競馬の時と変わらないような強いレースを展開、移籍1年目で126勝を挙げたほか、デルタブルースで海外G1初制覇も果たしています。
それ以降もアドマイヤムーン、ウォッカ、ブエナビスタといった名馬に騎乗してG1勝利数を積み重ねていき、2012年にはディープブリランテで日本ダービーを制覇、はじめてダービージョッキーになっています。
ジェンティルドンナとロードカナロアを名馬へと導く
香港スプリント2012(引用元:https://jra.jp/gallery/3minmeiba/horse1/index.html)
また2012年には名牝の1頭に数えられるジェンティルドンナの主戦騎手となり、桜花賞、オークス、秋華賞を制覇し、辻史上4頭目の三冠牝馬となりました。
そしてジャパンカップでは当時最強と言われていたあのオルフェーヴルとの直接対決をも制しています。
そして同年はスプリント限定であれば歴代最強の1頭に必ず名前が挙がるロードカナロアの主戦騎手ともなっており、スプリンターズステークス連覇、更に日本の競走馬で初めて香港スプリントを制覇するという偉業を成し遂げました。
岩田康誠騎手の年収とこれまでの獲得賞金について
岩田康成騎手がこれまでどれくらいの賞金を獲得してきたのかや、年収がどれくらいなのかについて調べてみました。
まずこれまでの獲得賞金ですが、中央競馬で獲得賞金がおよそ382億8,000万円、地方競馬がおよそ58億7,000万円で合計すると約441億5,000万円となります。
年収はその年の勝利数によって大きく変動しますが、2021年度の年収はおよそ7,600万円と算出されています。
岩田康誠騎手がこれまで騎乗した競走馬たち
岩田騎手はこれまで数々の競走馬に騎乗し、素晴らしい成績を挙げていますが、そのなかでも3頭に厳選してここでは紹介します。
アドマイヤムーン
アドマイヤムーンに騎乗する機会は3度しかありませんでしたが、その3度の騎乗の間で宝塚記念、ジャパンカップを制し、岩田騎手がこの馬の種牡馬としての価値を高めることに多大な貢献をしたことは間違いないでしょう。
前の馬を抜くと、力を抜いてしまう悪い癖がある競走馬でしたが、それでも勝利できたのは岩田騎手の類まれなる騎乗センスあってこそです。
ジェンティルドンナ
ジェンティルドンナは3歳の時に岩田騎手が主戦騎手となっており、牝馬三冠を達成後ジャパンカップも制するなど重賞レース5連勝という桁違いの強さを見せただけではなく、4歳となって岩田騎手が主戦騎手ではなくなってしまってからもジャパンカップ連覇、ドバイシーマカップを勝利、更に引退レースとなった有馬記念でも勝利をおさめ、後に顕彰馬入りを果たした最強クラスの牝馬でした。
1回目のジャパンカップではオルフェーヴルを弾き飛ばして勝利するなど牡馬に大しても真っ向勝負を挑んで優れた成績を残したこともあって、ジェンティルドンナに届いたファンレターのうち、なんと9割が女性からのものだったそうです。
ロードカナロア
サクラバクシンオーと並んで中央競馬スプリント界では史上最強と呼ばれる名馬であり、中国名「龍王」が競馬ファンの間では特に有名で、ネット上でも龍王と呼ばれることが多々あります。
スプリンターズステークスと香港スプリントを連覇している競走馬は今のところ、ロードカナロアただ1頭のみです。
ちなみに岩田騎手がロードカナロアの主戦騎手となったのは4歳の秋となってからですが、それから引退までにG1レース6勝という凄まじい結果を残しています。
岩田康誠騎手は結婚している?
岩田騎手が結婚していることはファンの間ではすっかり有名です。
というよりも岩田騎手のお子さんである岩田望来さんが現在お父さんと同じく中央競馬の騎手として2019年にデビュー、現在はリーディング上位圏内に入る活躍を見せています。
岩田騎手も望来騎手の才能を認めているらしく、「自分より良い騎手になる」「自分を引退に追い込むような活躍を見せてほしい」と答えています。
賛否両論の騎乗スタイル
これまでG1レースを35勝ととにかく大舞台に強い岩田騎手ですが、あまりにも勝利に貪欲すぎるその騎乗スタイルはトップジョッキーとしてはかなり賛否両論となっています。
勝負所を見極める才能は多くの人が認めているのですが、時折強引な騎乗をすることがあったり、レース後に他の騎手に文句を言いに行ってしまったりすることがあるなど、批判されても仕方ないという部分が少々見受けられるのは事実です。
そのほかエピソードなど
大舞台で勝利を重ねていることから岩田騎手自身はハートがとても強い人物のような印象を受けるのですが、実際はとてもプレッシャーに弱いらしく、とあるレースではレース前に嘔吐してしまったこともあるほどです。
また、人前に出ることが特に苦手であるため、ベテランとなった現在でも勝利騎手インタビューはとても緊張するらしく、日本人なのに日本語がたどたどしくなることが良くあるそうです。
与えられた仕事は何が何でもこなす、職人気質の騎手といえるでしょう。
まとめ
岩田康誠騎手は元々地方競馬場のひとつである園田競馬で無類の強さを誇っていた騎手で、その後本格的に中央競馬へ参入、参入1年目で120勝以上を挙げるという活躍を見せ、現在までにG1レース35勝と現役ジョッキーのなかでも5本の指の入る勝利数をマークしています。
岩田騎手がこれまで騎乗してきた競走馬のなかにはジェンティルドンナやロードカナロアのように過去最強クラスの名馬たちもいます。
騎乗している競走馬の能力が高いからこそ、これだけG1レースを勝てているという声もありますが、強い馬に騎乗してしっかりと結果を出せているのは岩田騎手の騎乗センスが優れているからこそです。
大舞台に強いため、ハートが強そうなイメージを持たれがちですが、実際は逆で岩田騎手自身はプレッシャーにものすごく弱いですし、インタビューも苦手な性格というのは意外な一面といえるでしょう。
お子さんである岩田望来さんも騎手として活躍、既にリーディング上位に食い込むほどの勝利数を毎年マークしています。