内田博幸の年収と獲得賞金、これまでの活躍と結婚・家族についても紹介

内田博幸の年収と獲得賞金、これまでの活躍と結婚・家族についても紹介

現在中央競馬で活躍している騎手には最初から中央競馬で活躍してきた騎手だけではなく、もともと地方競馬出身だった騎手が中央競馬に転向したというケースもあります。
本記事で紹介する内田博幸騎手もそんな元地方競馬出身の騎手のひとりです。

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内田博幸騎手のプロフィール

内田博幸騎手のプロフィール(引用元:https://umajo.jra.jp/jockey/hiroyuki_uchida.html)

内田騎手の基本的な情報を表にまとめました。

生年月日 1970年7月26日
血液型 B型
初免許取得年 1989年(大井)
2008年(中央)
初勝利 1989年5月7日
重賞勝利数 149勝
G1勝利数 24勝

初勝利まで

初勝利まで

お父さんが元体操選手だったため、内田騎手も小学生の頃は体操選手になりたいと思っており、体操教室に通っていたのですが、一緒に通っていたお兄さんが辞めた際に「一人で通うのは無理だ」と判断、内田騎手も体操教室を辞めてしまいます。

しかし体操選手への道をあきらめきれずに練習を再開しようと考えましたが、周りとのレベル差があまりに大きすぎることにショックを受け、中学校3年生の時に体操選手の夢を完全に諦めました。

実は内田騎手の実家のすぐ近くに2歳馬を訓練する施設があり、幼い頃から競走馬に触れる機会があったのと、際に佐賀競馬の騎手となっていた兄からの勧めなどもあって上京、厩舎で1年間修業した後本格的に騎手になる勉強をするため競馬学校へ入学します。

1989年4月6日にデビュー、その後しばらく勝ち切れない日々が続きましたが、デビューから1か月後の5月7日に初勝利を飾りました。

内田博幸騎手のこれまでの活躍を紹介

内田博幸騎手のこれまでの活躍を紹介

内田騎手がこれまで地方競馬、中央競馬でどのような活躍をしてきたのかを順を追って見ていくことにしましょう。

デビューしてしばらくは「地味な存在」

今でこそ中央競馬でトップジョッキーといえるような活躍を見せていますが、地方競馬でデビューしてしばらくは南関東地区の競馬場で活躍するトップジョッキーと比べれば地味な存在であり、成績も目を見張るような勝利数を挙げるには至っていませんでした。

自分が騎乗していた競走馬が重賞レースに出走するチャンスがありながら自身は騎乗停止処分を受けており騎乗できず、別の騎手が騎乗して重賞レースを初勝利するといった、悔しい思いをすることもあったそうです。

2000年ごろからは絶対的な強さを発揮

しかし2000年ごろから徐々にその才能を開花させ、南関競馬所属騎手のリーディング上位に名を連ねるようになります。

そして2004年には年間385勝を挙げ、当時絶対的な存在であった的場文男、石崎隆之両騎手の勝利数を抜いて初めて南関東リーディングジョッキーの座に輝くと、翌年には465勝という凄まじい勝ち数を挙げ、2年連続で南関東リーディングジョッキーを獲得、名実ともに南関東競馬のトップジョッキーとなります。

さらに翌2006年には南関東で開催される古馬G1レースをすべて制覇、更に通算2,500勝も達成しただけではなく、年間最多勝利数となる524勝を挙げるなど大活躍しました。

2008年より中央競馬をメインに

2007年に中央競馬の騎手免許を取得することを宣言し、本格的に中央競馬に移籍するための準備を始めます。

地方競馬時代から中央競馬でもレースに出走、2年連続20勝以上を挙げていたため、一次試験は免除され、2次試験に見事合格、2008年付で正式に中央競馬騎手としてデビューすることになりました。

3月1日に中央競馬の騎手としてデビューすると、岩田康生騎手以来当時ふたり目となる「中央競馬移籍後初騎乗初勝利」という記録を打ち立てるなど活躍、更にその年の宝塚記念、菊花賞にも勝利して最終的には123勝をマーク、中央競馬移籍後1年目でいきなり関東リーディングジョッキーの座に輝きました。

2010年ダービージョッキーに

2009年には年間145勝を挙げ、関東だけではなく全国リーディングジョッキーの座に早くも輝きます。

2010年も年明けの4日間開催で8勝を挙げるなど順調なスタートを切っていたのですが、1月11日中山競馬場で開催されたレースで大規模な落馬事故が発生した際に内田騎手も巻き込まれて左腕を骨折、しかしわずか1か月で復帰すると復帰初日に騎乗したフェブラリーステークスで3着に入る活躍を見せました。

そして5月30日の日本ダービーではエイシンフラッシュに騎乗して優勝、全ジョッキーが目標とするもののひとつである、ダービージョッキーの座に輝きます。

2010年も年間最多勝利騎手になる活躍を見せたのですが2011年、大井競馬場でのレースで
落馬負傷、それ以降その年はほぼ治療に専念しなければならなくなってしまいます。

しかし翌2021年にはゴールドシップで皐月賞を制し、怪我前と変わらない強さを見せてくれました。
8月には中央地方合わせて同一週で重賞レースを3勝するという離れ業も見せています。

内田博幸騎手の年収とこれまでの獲得賞金について

内田博幸騎手の年収とこれまでの獲得賞金について

内田騎手がこれまで獲得した賞金と年収がいくらくらいなのかを調べてみました。
まず獲得賞金ですが、内田騎手は中央競馬で約253億円、地方競馬で約125億円を獲得しており、合計するとこれまでの獲得賞金は約378億円ということになります。

年収はその年どれくらい勝利したかによって大きく変わるのですが、2021年の年収は勝利数から計算すると6,637万円となっています。

内田博幸騎手がこれまで騎乗した競走馬たち

内田騎手がこれまで騎乗した競走馬のなかでもっとも有名なのはゴールドシップになるでしょうか。
主戦騎手とまでは生きませんが、ゴールドシップで皐月賞、菊花賞、有馬記念を制しています。

特に皐月賞では「ワープしてきた」と言われるほどの豪快な追い込みを披露、この競走馬の能力の高さを競馬ファンに知らしめたのは内田騎手の豪快な騎乗のおかげといえるのではないでしょうか。

また、人気薄の馬をあっと言わせる騎乗で勝利に導くケースがとても多いのが内田騎手の特徴です。
特に2007年のNHKマイルカップでは17番人気のピンクカメオを勝利に導いています。
日本ダービーを制したエイシンフラッシュもレースでは7番人気と、それほど高い人気ではありませんでした。

内田博幸騎手は結婚している?

内田博幸騎手は結婚している?

内田騎手は元フリーアナウンサーだった鈴木文子さんと結婚されており、既婚者です。
お子さんについても調べてみましたが、お子さんが居るかどうかについては判明しませんでした。

そのほかエピソードなど

お父さんが元体操選手で内田騎手自身も体操教室に通っていたということもあり、バク転やバク宙ができるという稀有な騎手であり、G1レースなど大レースに勝利した際にはその華麗な技を観客に披露してくれます。

また、サインや握手などのファンサービスに積極的に応じてくれる騎手であり、競馬ファンからの人気は非常に高いです。

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まとめ

内田騎手はお父さんが元体操選手だったこともあり、幼いころは体操選手を目指して体操教室などにも通っていましたが、近くに競走馬を訓練する施設があったこと、お兄さんが先んじて騎手になったことなどをきっかけに騎手になる事を決断、地方競馬騎手としてデビューします。

デビューしてしばらくはあまり目立たない存在でしたが2000年ごろから頭角を表し、2004年に初めてリーディングジョッキーの座に輝くとそれ以降は名実ともに南関東競馬のトップジョッキーとして君臨し続けました。

2008年に本格的に中央競馬の騎手として再デビュー、1年目でいきなり123勝を挙げるという活躍を見せるなど、地方競馬時代と変わらない活躍を見せ、リーディングジョッキーにも輝いています。

G1レースでは2014年以降勝てない日が続き、2018年にフェブラリーステークスで久しぶりに勝利してからは未だ勝利できていません。

勝利数そのものは今も変わらず積み重ねているので、またファンをあっと言わせるような騎乗で伏兵をG1レース勝利に導いてほしいところです。