浜中俊の年収と獲得賞金、これまでの活躍と結婚・家族についても紹介
日本の中央競馬の騎手といえば真っ先に思いつくのが武豊騎手ではないでしょうか。
しかし武豊騎手もベテラン騎手の一人となった現在では、これからの中央競馬をけん引するであろう若手騎手が続々と登場しています。
本記事で紹介する浜中俊騎手もそんな新世代騎手のひとりです。
浜中俊騎手のプロフィール
(引用元:https://umajo.jra.jp/jockey/suguru_hamanaka.html)
浜中騎手の基本的な情報を表にまとめました。
生年月日 | 1988年12月25日 |
血液型 | A型 |
初免許取得年 | 2007年 |
初勝利 | 2007年4月7日 |
重賞勝利数 | 65勝 |
G1勝利数 | 11勝 |
初勝利まで
中央競馬で活躍する騎手の多くがお父さんや親せきが競馬関係者だったりするのですが、浜中騎手の家庭は競馬とは全く無縁でした。
浜中騎手自身も小学2年生から空手を習っていたのですが、浜中騎手自身が少年時代より大の競馬好きであり、この頃から競馬専門紙を読みふけっていました。
その後小学校5年生から乗馬を習い始め、2004年に競馬学校へ入学します。
同期生だった藤岡康太騎手と丸田恭介騎手は浜中騎手とともに現在は中央競馬界の次世代を担う騎手として、凌ぎを削り合う関係です。
2007年に騎手免許を取得し、現在某競馬番組で解説者として出演しておられる坂口正大氏の厩舎から騎手としてデビューします。
そして同年4月7日に初勝利を飾りました。
浜中俊騎手のこれまでの活躍を紹介
(引用元:https://www.jra.go.jp/school/jockey/feature/int03.html)
初勝利以降、浜中騎手が現在までどのような活躍をしてきたのか、順を追ってみいくことにしましょう。
2008年重賞初制覇と翌年のG1初制覇
デビュー年は同期騎手の中では第二位となる20勝を挙げ、デビュー直後からその卓越した騎乗センスは競馬ファンの賞賛を浴びていました。
2008年9月7日、地元福岡県小倉競馬場で開催された小倉2歳ステークスに勝利、これが浜中選手にとって重賞レース初勝利となります。
この年は中京や小倉など、西日本のローカル競馬場でレースに出走しつづけ、前年を大きく上回る73勝をマーク、浜中騎手の知名度は一気に高まることになりました、
2009年になっても浜中騎手の快進撃はとどまることなく続きます。
春には早くも通算勝利数を101として見習い騎手を卒業、一人前の騎手として認められる立場となると、10月にはスリーロールスで菊花賞に勝利、デビュー3年目という異例のスピードでG1レースを制しました。
2012年全国リーディングジョッキーに
2011年は自身最多となる86勝をマークして絶好調だったのですが、翌2012年はそれをはるかに上回るハイペースで勝利数を積み重ねていきます。
この年G1レースには勝利できなかったものの、最終的に現在も含めて最多勝利となる131勝を記録。
武豊騎手(1989年、当時20歳)・福永洋一騎手(1970年、当時22歳)に次ぐ史上3番目の早さ、24歳で全国リーディングジョッキーの座に輝きました。
ちなみにG1レースを1勝もできなかった騎手が全国リーディングジョッキーとなったのは、岡部幸雄騎手(1987年)、柴田政人騎手(1988年)以来24年ぶりの記録となりました。
2014年と2015年はG1レース複数勝利
2013年1月23日、大井競馬場で開催されたTCK女王盃にメーデイアで出走、これが大井競馬場初出走となりますが、いきなり初勝利を飾ります。
更にグレープブランデーでフェブラリーステークスにも勝利、久しぶりにG1勝利を手にしました。
最多勝利騎手にはなれなかったものの、この年も年間100勝以上をマーク、翌2014年にはミッキーアイルでNHKマイルカップに勝利したほか秋華賞もショウナンパンドラに騎乗して勝利、自身初の年間G12勝をマークします。
2015年、ミッキークイーンに騎乗、オークスを制すると秋には秋華賞も勝利、同馬を牝馬2冠に導く活躍を見せたほか、天皇賞秋では騎乗停止となった川田将雅騎手のピンチヒッターとしてラブリーデイに騎乗すると見事に勝利します。
この年はG1レースを3勝するという活躍を見せましたが、そのほかのレースではイマイチ勝ち切れない騎乗が続き、2011年以来久しぶりに年間勝利数が100を下回るという結果になってしまいました。
2017年以降のスランプと念願のダービージョッキー
2016年、ミッキーアイルに騎乗してマイルチャンピオンシップを制します。
ところがこの時ゴール前で大きく斜行したことによって、8日間の騎乗停止処分を受けることになってしまいました。
この斜行は多くの競走馬が被害を受けていたことは事実で、この処分については関係者とファンの間で「こんな軽い処分で良いのだろうか」と議論が巻き起こるなど、大きな波紋を起こしています。
この件が影響しているのかどうかは分かりませんが、2017年に函館2歳ステークスを制して以降、突如スランプに陥ってしまい、平地レースでは勝利するものの中央競馬の重賞レースでは1年以上も勝つことができないという状況に陥り、浜中騎手にとって苦しい日々が続きます。
しかし2019年春、アーリントンカップで久しぶりに中央競馬の重賞レースに勝利すると同年の日本ダービーではロジャーバローズに騎乗して勝利、騎手としてデビューして以降長年の夢だったダービージョッキーの座に輝きました。
浜中俊騎手の年収とこれまでの獲得賞金について
浜中騎手がこれまで獲得した賞金と年収について調べてみました。
まず通算獲得賞金ですが、中央競馬での獲得賞金はおよそ226億4,000万円、地方競馬でおよそ5億3,000万円で合計すると約231億7,000万円となります。
年収はその年にどれだけ勝利数を重ねてきたかによって大きく変わってくるのですが、2021年度の浜中騎手の年収は約6,500万円でした。
浜中俊騎手がこれまで騎乗した競走馬たち
浜中騎手がこれまで騎乗してきた競走馬のうち、特に好成績を挙げた3頭をここでは紹介します。
ミッキークイーン
ミッキークイーンは4歳初戦となる阪神牝馬ステークスではC・ルメール騎手に乗り替わっていますが、それ以外のレースはすべて浜中騎手が騎乗しています。
牝馬三冠の初戦となる桜花賞はトライアルレースに勝利できなかったこともあって獲得賞金が足りず抽選となりましたが惜しくも外れて出走すら出来ませんでした。
もし出走していれば、牝馬三冠を狙える存在になっていたかもしれません。
しかしオークス、秋華賞を制して見事牝馬二冠を達成、4歳時は4レース中3レースで馬券圏内に入るという活躍を見せるも勝ち切れないままでしたが、5歳の阪神牝馬ステークスで復活の勝利を果たします。
しかしそれ以降は4歳時より抱えていた脚部の不安が顕著となり、有馬記念の出走をもって引退、現在は繁殖牝馬となっています。
ミッキーアイル
ミッキーアイルは主に短距離、マイル路線で強さを発揮した競走馬です。
初勝利となった2歳未勝利戦、重賞初勝利のシンザン記念では当時のコースレコードで優勝しており、シンザン記念の次に出走したNHKマイルでもスタートからハナを切るとそのまま逃げ切って勝利、G1ホースとなりました。
4歳のレースでは勝利できなかったものの、5歳になると落馬負傷していた浜中騎手の代わりに騎乗した松山弘平騎手によって阪急杯を制します。
復帰以降は再び浜中騎手騎乗に戻ると、スプリンターズステークスでは惜しくも2着に敗れるものの、11月のマイルチャンピオンシップでは逃げを打って勝利、G1レース2勝目を飾りましたが、大きく斜行したことによって複数の居周防場の進路が狭くなったとして、浜中騎手にはレース後8日間の騎乗停止処分が下されています。
メイショウハリオ
名称はリオはダートで活躍している競走馬です。
2021年みやこステークスを制したことで注目されるようになり、翌2022年にはマーチステークスを制します。
続く平安ステークスでは、現時点でダート界最強馬の1頭であるテーオーケインズと直接対決するも、ここでは地力の違いを見せつけられて完敗してしまいます。
しかし続く帝王賞では、テーオーケインズ、オメガパフューム、チュウワウィザードの現時点で最強ダート馬といわれている3頭を抑えて優勝、初めてG1級レースを制覇しました。
浜中俊騎手は結婚している?
浜中騎手が結婚しているかについてですが、浜中騎手は既婚者であり、2009年に智美さんという名前の女性と結婚されています。
2009年というと浜中騎手はまだ20歳の時ということなので、かなり早い結婚であるといえるでしょう。
しかし、騎手は早くに結婚する人が多いので、20歳での結婚というのは実はそこまで珍しい事ではありません。
騎手は体重管理が非常に大変であり、心に決めた女性が見つかれば自分の事を支えてほしいという気持ちが強くなるからではないでしょうか。
また、娘さんが一人いらっしゃることもわかりました。
そのほかエピソードなど
浜中騎手は写真を見ればすぐに分かるように、騎手界きってのイケメンです。
実力があるうえに容姿も整っているということもあって、女性の競馬ファンからは絶大な人気を誇っています。
また、とあるインタビューで娘さんが結婚したら…という質問をされた際には即答で「許しません」と答えていました。
冗談も少し混じっているかと思いますが、いつまでも娘は自分のそばにいてほしいと思うのは娘を持つお父さん全員の本音なのではないでしょうか。
まとめ
浜中俊騎手はまったく競馬とは無縁の環境で育ちながら、浜中騎手自身が幼少期より競馬雑誌を読みふけるほどの競馬好きであり、小学5年生から始めた乗馬をきっかけに騎手になる事を決意するという変わった経歴で騎手になっています。
デビューするといきなり20勝を挙げる活躍、更に翌年は重賞初制覇と年間73勝をマークするという大躍進を見せ、さらに翌年には早くもG1レースにも勝利します。
その後も年間100勝を達成、24歳で全国リーディングジョッキーと凄まじいスピードで成長していったのですが、2017年以降突如スランプに陥り、1年以上中央重賞レースでの勝利から遠ざかってしまいます。
しかし、その後2019年に久しぶりに重賞レースに勝利すると日本ダービーでも勝利、念願のG1ジョッキーの座に輝きました。
2022年は重賞レースを5勝と、かなりの活躍を見せており、スランプは完全に脱出したといえるでしょう。