吉田豊の年収と獲得賞金、これまでの活躍と結婚・家族についても紹介

吉田豊の年収と獲得賞金、これまでの活躍と結婚・家族についても紹介

現在第一線で活躍している騎手のなかには、1頭の名馬との出会いによって大きく躍進を遂げた騎手が何人かいます。

もっとも有名なのはデビュー3年目でテイエムオペラオーに騎乗してグランドスラムを達成、その後トップジョッキーへと昇りつめた和田竜二騎手ですが、今回紹介する吉田豊騎手もとある1頭の名馬によって多大なる活躍をした騎手のひとりです。

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吉田豊騎手のプロフィール

吉田豊騎手(引用元:https://umajo.jra.jp/jockey/yutaka_yoshida.html)

吉田騎手の基本的な情報を表にまとめました。

生年月日 1975年4月19日
血液型 A型
初免許取得年 1994年
初勝利 1994年3月6日
重賞勝利数 46勝
G1勝利数 12勝

初勝利まで

風のシルフィード(引用元:Amazon)

吉田騎手は茨城県の出身で、実家の近くには現在も競走馬たちの拠点のひとつとして活用されている「三浦トレーニングセンター」がありました。

なので、吉田騎手もほかの騎手と同じように幼いころから競走馬に囲まれた日々を送っていたと思ってしまいますが、実際はそのような事はなく、三浦トレーニングセンターの存在すら幼少期はまったく知らず、競馬とは無縁の環境で育っています。

中学生時代には器械体操に明け暮れる日々だったのですが、高校受験を控える頃にはじめて騎手という職業があることを知り、小柄な体格だったこともあって競馬学校の試験を受けることを決意します。

騎手になる事を決断した背景には当時人気だった「風のシルフィード」という競馬を題材にした漫画の影響も大きかったそうです。

乗馬経験などはまったくないまま試験を受けましたが見事に合格して競馬学校へ入学、入学してすぐは「未経験者用」のプログラムを受講していたのですが、半年ほどで成績上位となり、さらにトップ成績を挙げるようになりました。

競馬学校卒業後、1994年3月に騎手としてデビューし、同年3月6日に初勝利を飾ります。

吉田豊騎手のこれまでの活躍を紹介

吉田豊騎手のこれまでの活躍を紹介

初勝利以降、吉田騎手がこれまでどのような活躍をしてきたのか、順を追って紹介していきます。

デビュー2年目28勝の大活躍

デビュー1年目で大久保厩舎所属馬のほとんどに騎乗させてもらうなど、騎乗機会は普通の新人騎手よりも多かったのですが、デビュー1年目は6勝と期待に応えられるといえるような結果ではありませんでした。

しかし2年目で早くも勝ち方を覚えたのか、その年は28勝と大躍進、一気に関東出身の若手騎手の成長株として注目されるようになります。

また、この頃より穴馬をしばしば掲示圏内である5着以内や馬券圏内である3着以内に好走させるような騎乗をすることが多くなり、有力馬に騎乗する機会も増えていきました。

名馬メジロドーベルとの出会い

そしてデビュー3年目、吉田騎手は自身が大きく飛躍するきっかけとなった競走馬、メジロドーベルと出会うことになります。

1996年12月、メジロドーベルに騎乗して「阪神3歳牝馬ステークス」(現阪神ジュベナイルフィリーズ)を制覇、これが重賞初勝利であり、更にはG1レース初勝利ともなりました。

翌年も継続してメジロドーベルに騎乗して牝馬三冠路線を突き進み、桜花賞は勝利とはならなかったものの、続くオークス、更には秋の秋華賞も制し、メジロドーベルで牝馬二冠達成という偉業を成し遂げました。

この年はほかの競走馬でもしっかりと結果を残し、最終的に83勝と2年目の3倍以上の勝ち星を挙げ、全国リーディングでも6位にランクインするという大躍進を遂げました。

この頃、関西ではあの武豊が大活躍して注目されていて、自身も名前が豊であることから、「東のユタカ」と呼ばれるようになりました。

翌年もメジロドーベルに引き続き騎乗し、エリザベス女王杯を制覇、さらにはスプリンターズステークスでシーキングザパール、更には当時短距離マイル路線では絶対王者と評されていたタイキシャトルを退け、優勝しています。

2000年代前半数々のG1レースで勝利

1999年8月、独身寮内で先輩騎手である後藤浩輝騎手から木刀で一方的に暴行を加えられてしまいます。
幸い大怪我とはなりませんでしたが、暴行を与えた後藤騎手には4か月の騎乗停止処分という重い罰が下されました。

しかしそんなアクシデントにもめげず吉田騎手はメジロドーベルでエリザベス女王杯を連覇するという偉業を達成します。

勝利後はこのレースでメジロドーベルが引退するという事と、8月の暴行事件の事が頭をよぎったのでしょう、涙を浮かべながらインタビューに答えています。
メジロドーベル引退後も吉田騎手の活躍は留まるところを知りませんでした。

2002年にはスマイロトゥモローでオークス2勝目を飾ったほか、翌2004年にはショウナンパントルで阪神ジュベナイルフィリーズを勝利、2008年にはブルーメンブラットでマイルチャンピオンシップを制覇と、着実にトップジョッキーへの階段を駆け上がっていきました。
東のユタカという異名に恥じない活躍をしてきたといえるでしょう。

落馬により2年間休養も復帰

その後も2013年4月には通算1,000勝を達成するなど、順調に勝ち星を積み重ねてきていたのですが、突如大きな試練が吉田騎手を襲います。

2017年12月10日、中山競馬場で開催されていたレース中に落馬し、頸椎骨折とい重症を負ってしまいました。

騎手にとって頸椎骨折というのは致命的であり、復帰することは絶望的とまで言われていたのですが、吉田騎手は一分の望みをかけて決死のリハビリに専念します。

リハビリ中にメジロドーベルのお披露目会があったのですが、その際に吉田騎手も参加、ファンや騎手たちに元気な姿を見せるとともに、一日も早く復帰することを宣言しました。

その後も賢明にリハビリを続け、休養から約2年後の2019年3月9日、怪我をした競馬場である中山競馬場のレースでついに復帰、ファンの温かい声援に迎えられながら、再び騎手としてレースに出ることができるようになった喜びをかみしめていました。

パンサラッサで海外G1初制覇

現在はパンサラッサの主戦騎手として有名ですが、2022年3月、パンサラッサと共にドバイのメイダン競馬場で開催された「ドバイターフ」に出走すると、得意の逃げのレースを展開して他馬を翻弄、そのまま逃げ切って勝利、長期休養から復帰後久しぶりのG1勝利と共に海外G1初勝利ともなりました。

吉田豊騎手の年収とこれまでの獲得賞金について

吉田豊騎手の年収とこれまでの獲得賞金について

吉田騎手がこれまでに獲得した賞金と年収について調べてみました。
吉田騎手はこれまで中央競馬で約253億1,000万円、地方競馬で約7億3,000万円の賞金を獲得しており、合計すると約260億4,000万円獲得していることになります。

吉田豊騎手がこれまで騎乗した競走馬たち

吉田豊騎手がこれまで騎乗した競走馬たち

吉田騎手はこれまでたくさんの競走馬に騎乗し、結果を残していますが、そのなかでも著名な3頭をここでは紹介します。

メジロドーベル

デビュー3年目に主戦騎手となったメジロドーベルは吉田騎手を一流騎手になるきかけを与えてくれた競走馬であり、吉田騎手自身にとっても一番思い入れがある競走馬なのではないでしょうか。

ちなみに、和田竜二騎手が稀代の名馬テイエムオペラオーの主戦騎手となったのも同じくデビュー3年目です。

阪神3歳牝馬ステークス、オークス、秋華賞、エリザベス女王杯連覇とG1レースを5勝している歴代トップクラスの牝馬であり、牝馬でG15勝というのは2009年まで牝馬としては最多勝利記録でした。

マイネルラヴ

マイネルラヴはその高い競争能力でデビュー前から注目されましたが、キングヘイローやグラスワンダー、エルコンドルパサーといった日本競馬史上トップクラスの競走馬たちと常に戦わなければならず、G1レースでは惜しい結果を残し続けていました。

しかし4歳の秋にほぼぶっつけ本番で挑戦したスプリンターズステークスでは、タイキシャトルがその時に大幅な体重増でとても本調子とは言えなかったという幸運はあったものの、それでも有力馬であるシーキングザパールの追撃を交わして勝利するという圧巻の走りを見せつけました。

パンサラッサ

現在、吉田騎手が主戦を務める競走馬のなかでもっとも有名なのはこのパンサラッサでしょう。
パンサラッサは逃げ馬であり、相手のペースなどを一切考えず、自分のペースでとにかく一番前を走るという戦法を得意としている馬です。

したがって、後ろの馬とは大きく差をつけるような走りをすることが多いのですが、ここ最近は大きく逃げるというよりも、他の馬のペースを見つつ逃げ、最後にスパートをかけて逃げ切るというスタイルに変化しつつあります。

吉田豊騎手は結婚している?

吉田豊騎手は結婚している?

吉田騎手が結婚しているかについて調べてみましたが、結婚していたりお子さんが居るという内容の情報は見つからなかったので、現在も独身である可能性が高いです。

そのほかエピソードなど

そのほかエピソードなど

騎手というのは閉ざされた世界なので、騎手同士で仲良くなることが多いのですが、吉田騎手は気をつかったり使わせたりするという関係が苦手らしく、あまり他の騎手とは一緒に行動しないそうで、調教師や厩務員さんなど、裏方の人と仲良くなることのほうが多いそうです。

そんな吉田騎手ととても仲の良いとある1人の調教助手が居ました。
彼とは週2、3日は一緒にいて、時間があるときは二人で旅行をするほどの仲であり、この調教助手の男性は既婚者だったのですが、奥さんからも公認の関係でした。

しかし2021年3月、調教中にこの調教助手の男性が落馬、心肺停止状態となり不幸にも帰らぬ人となってしまいます。

この出来事は吉田騎手には非常にショックだったようで、今でもこの話をすると言葉に詰まるほどだったのですが、気持ちを奮い立たせて騎乗を続け、翌2022年3月、見事ドバイターフで勝利をつかみました。
帰国して隔離期間終了後、吉田騎手はお墓参りと共に勝利報告をしたそうです。

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まとめ

吉田豊騎手は競馬とは全く無縁な環境で育ちましたが、両親から騎手の事を教えてもらったのと、その時熱中していた競馬を題材にした漫画をきっかけに騎手を志します。

騎手学校ではそれまで馬に乗った経験が無いにも関わらず最終的にトップの成績で卒業、騎手としてデビューすると2年目には28勝の大活躍を見せました。

そしてデビュー3年目、名牝メジロドーベルとともにG1レースを席巻、最終的にメジロドーベルでG1レース5勝を挙げ、一気にトップジョッキーの仲間入りをしました。

その後もG1レースに勝利し続け、「東のユタカ」に恥じない活躍を見せますが、2017年に落馬して頸椎骨折という大怪我を負います。

一時は復帰すら難しいといわれましたが決死のリハビリで復帰、2022年にはパンサラッサでドバイターフを制して初の海外G1レース勝利に輝きました。