藤岡康太の年収と獲得賞金、これまでの活躍と結婚・家族についても紹介
これまで中央競馬は武豊騎手や福永祐一騎手などが勝利数トップの常連であり、時代をけん引していましたが、近年は30代騎手の活躍が目立ってきており、リーディング上位にも続々と名を連ねるようになりました。
本記事ではそんな若手の有望株の一人である藤岡康太騎手について、これまでの活躍や獲得賞金、年収を紹介します。
藤岡康太騎手のプロフィール
(引用元:https://umajo.jra.jp/jockey/kota_fujioka.html)
藤岡騎手の基本的な情報を表にまとめました。
生年月日 | 1988年12月13日 |
血液型 | AB型 |
初免許取得年 | 2007年 |
初勝利 | 2007年3月3日 |
重賞勝利数 | 23勝 |
G1勝利数 | 1勝 |
初勝利まで
藤岡騎手のお父さんである藤岡健一氏は調教師であり、藤岡騎手は幼い頃から競走馬と身近に触れ合える環境で育ちました。
そして、藤岡康太騎手にはお兄さんが居るのですが、お兄さんの藤岡佑介さんも藤岡康太騎手と同じく現在中央競馬で騎手として活躍されています。
お兄さんである藤岡佑介騎手が乗馬を習っていたのに影響され、藤岡康太騎手も乗馬を習い始め、それをきっかけに徐々に将来騎手になる事を夢見るようになり、2004年に第23期生として競馬学校に入学しました。
同期には現在藤岡騎手と共に第一線で活躍する浜中俊騎手が居ます。
2007年に平地、障害の騎手免許を取得した藤岡騎手は、3月3日、中京競馬場で開催された未勝利戦で騎手としてデビューする事となりました。
このレースではお父さんである健一氏が管理する競走馬に騎乗、1番人気に推されるとその人気通り2馬身差以上の着差をつけて勝利、見事にデビュー戦を白星で飾りました。
ちなみにデビューした3月3日には計8回騎乗していて、デビュー戦で8回騎乗するというのは福永祐一騎手と武幸四郎騎手のデビュー戦8回に並び、デビュー戦最多騎乗回数となっています。
藤岡康太騎手のこれまでの活躍を紹介
初勝利以降、藤岡騎手が現在までどのような活躍をしてきたのか、順を追って紹介していきます。
デビュー3年目でいきなりG1レース初制覇
藤岡選手はデビューして1年目でいきなり24勝するという活躍を見せ、期待の新人騎手の一人として早くも注目されるようになります。
翌2008年には38勝を挙げ、G1レース騎乗条件となる通算31勝をあっさりクリア、これで藤岡騎手は騎乗依頼さえ勝ち取ればG1レースで騎乗できるようになりました。
そして2009年、ジョーカプチーノに騎乗してファルコンステークスに勝利、これが藤岡騎手にとって重賞レース初制覇となりましたが、藤岡騎手の勢いはまだ留まるところを知りませんでした。
藤岡騎手は同年5月10日、ジョーカプチーノとともにG1レース「NHKマイルカップ」に出走します。
前を行く馬を見ながら2番手を追走するという冷静なレース運びをすると、最終特選の残り300mあたりで先頭の馬を捉えてそのままゴール、なんとデビュー3年目でG1レースを勝利するという快挙を成し遂げました。
20歳4か月でのG1レース制覇はグレード制が導入されてからは史上10番目の早さです。
2010年、2012年とアクシデントに見舞われ長期休養を余儀なくされる
その後も順調に勝ち星を積み重ねていき、2010年2月7日には早くも通算100勝を達成、新人騎手から中堅騎手への階段を着実に駆け上がっていきましたが、ここで予想外のアクシデントが藤岡騎手を襲います。
3月26日、藤岡騎手は突如胸の痛みを訴えたためそのまま救急車で病院へと搬送、診察の結果、肺に穴ができる病気である「肺気腫」と診断されます。
この週の騎乗をすべてキャンセルした藤岡騎手は休養に入ることとなり、3月31日に手術を受け、4月10日に一旦復帰しましたが、再手術が必要と判断されたため翌日再び休養し、4月21日に再手術を受けました。
その後の経過は順調であったため、6月5日に復帰したのですが、翌2011年9月18日にも肺気腫の症状が出始めたため、10月23日からおよそ1か月間、治療のために休養を余儀なくされました。
2012年は肺気腫の症状も出ず順調にレースに出走し続けていたのですが、2012年、藤岡騎手を再び試練が襲います。
2012年8月25日、藤岡騎手はレース中に落馬してしまいます。
レース中の落馬というのは、こういう言い方はよくないかもしれませんが騎手にとってはつきものであり、騎手という職業を続けていく以上避けられないものではあります。
しかし、この時の落馬はかなり深刻なものであり、落馬した藤岡騎手はそのまま意識を失い、意識を取り戻したのは翌日になってからでした。
更に肩甲骨と肋骨を2本骨折していただけではなく、落馬の影響で脳にも影響が出ていたらしく、右目で物を見ると二重に見えるという悪影響が出ていました。
特に右目が普通に見えないというのはスポーツ選手としては致命的であり、復帰に向けてリハビリはしていたものの、いつ終わるか分からないリハビリに、一時は引退を考えたこともあったそうです。
しかし藤岡騎手はあきらめずにリハビリを続け、落馬事故から半年後の2013年2月に復帰すると、その年いきなり自身最高勝利数となる47勝をマーク、完全復活を成し遂げました。
乗り替わりでも活躍
藤岡騎手、実は乗り代わりでいくつかの大仕事を成し遂げています。
基本的に思い切った騎乗をするので、惨敗してしまうこともあるのですが、型にハマると能力を存分に発揮し、アッと驚く結果を出してくれることもあります。
20歳で勝利したNHKマイルでも分かるように、G1レースであってもお構いなしに一発勝負に打って出るので、特に重賞レースで藤岡騎手が乗り替わった馬は要チェックです。
藤岡康太騎手の年収とこれまでの獲得賞金について
藤岡騎手がこれまで獲得した賞金と年収について調べてみました。
藤岡騎手は中央競馬でおよそ131億1,000万円、地方競馬でおよそ8,000万円の賞金を獲得しているので、中央競馬と地方競馬を合わせた獲得賞金は約131億9,000万円となります。
デビューが2007年であり、まだまだ伸び盛りの騎手であるため、これからもどんどん獲得賞金を増やしていく事でしょう。
藤岡康太騎手がこれまで騎乗した競走馬たち
藤岡騎手は今のところ競馬史に残るような名馬に騎乗して連戦連勝、といった記録は残していませんが、藤岡騎手の騎乗によって印象的な勝利を挙げた3頭をここでは紹介していきます。
ジョーカプチーノ
藤岡騎手は3歳の萌黄賞から騎乗、初騎乗でいきなり1着を勝ち取ると続く重賞レースであるファルコンステークスにも勝利、藤岡騎手はこの勝利が重賞初勝利となりました。
そしてニュージーランドカップ3着を挟んで迎えたNHKマイルカップで圧巻の走りを見せ、藤岡騎手にG1レース初制覇をプレゼントしました。
しかし5歳初戦のシルクロードステークスを勝利して以降は勝ち星に恵まれず、引退して種牡馬となりました。
ワグネリアン
ワグネリアンは福永祐一騎手にダービー勝利をもたらした競走馬として有名です。
福永騎手は誰もが認めるトップジョッキーであり、ダービーに出走する機会も毎年のようにありましたが、それまで18回連続でダービーに勝利できず、福永はダービーでは勝てないとまで言われていました。
しかしワグネリアンに騎乗した福永騎手は会心の走りでダービーを初制覇、以降は憑き物が獲れたかのように勝利し続け、現在明け豊騎手に次いで多いだーいー3勝を挙げています。
次のレースを神戸新聞杯と定め、当然福永騎手が継続して騎乗する予定だったのですが、調教中に落馬負傷し騎乗できなくなってしまいます。
代役として騎乗したのが以前ワグネリアンに調教で跨った経験がある藤岡騎手でした。
藤岡騎手はこの期待に見事答えて勝利、藤岡騎手にとってはこの勝利が500勝目であり、嬉しいメモリアル勝利となりました。
マカヒキ
マカヒキもワグネリアンと同様にダービー馬として有名です。
その後フランスにわたり、前哨戦であるニエル賞にも勝利したのですが、それ以降は上位に入着することはあるものの勝ち切ることはできませんでした。
多くの競走馬が引退を考える7歳になっても現役を続け、翌8歳になってもレースに出走、いつしか高齢の競走馬として競馬ファン以外の人にも知られるようになります。
藤岡騎手は8歳の天皇賞春から騎乗、天皇賞春では12番人気8着と惨敗しましたが、続く京都大賞典で奇跡を起こします。
最終直線で前を行くキセキを交わしたマカヒキはその後も根性の走りを見せて勝利、ニエル賞より実に5年28日経過からの勝利となりました。
この記録は中央競馬におけるG1勝利馬の最長間隔の勝利記録となっています。
翌9歳でも現役を続けていたのですが、流石に力負けするレースが続き、10月25日、ついに引退が発表されました。
藤岡康太騎手は結婚している?
藤岡騎手は誰が見てもイケメンと評価するほど整ったルックスをしています。
結婚しても不思議ではない年齢ですし、騎手というのは結構早くから結婚する人が多いので、藤岡騎手もすでに結婚していても良さそうなのですが、今のところ奥さんがいる、または結婚したというような情報は出ていません。
そのほかエピソードなど
SNSなどもしていないのでプライベートの情報はあまりないのですが、ももいろクローバーZの大ファンであることは有名で、ももいろクローバーZを特集した雑誌ではファン代表の一人として出演を果たしています。
また、実はNHKマイルカップ前の最終追い切りでは遅刻をしてしまっており、スタッフを雨の中待たせてしまっていました。
その際、中竹和也調教師から「レースで結果を出せばみんな許してくれるよ」と冗談半分で言われたそうです。
この失敗があったからこそ、藤岡騎手は思い切った騎乗をし、G1勝利という最高の結果を出したのではないでしょうか。
まとめ
藤岡康太騎手は兄の藤岡佑介騎手に影響を受けて乗馬をはじめ、競馬学校に入学、卒業して騎手となります。
デビュー1年目で24勝を挙げ、さらにはデビュー3年目でG1レースに勝利するなど順調な滑り出しでしたが2010年に肺気胸で何度も休養を余儀なくされ、さらに2012年には落馬負傷で半年間リハビリに専念せざるを得なくなるなど、これまでの騎手人生は決して順風満帆とは言えませんでした。
しかしコツコツと努力を重ねた結果、今では中堅騎手として確固たる地位を築いています。
藤岡騎手は思い切った騎乗をすることに定評があり、型にハマると人気薄の馬を上位に、更には勝利へと導くので穴党の人は要チェックです。