元地方トップジョッキー戸崎圭太騎手の年収や家族構成は?
戸崎騎手は元大井競馬場所属の騎手で、中央競馬移籍後は関東所属騎手として、第1戦で活躍するトップジョッキーの1人です。
名牝ジェンティルドンナの引退レース、2016年の有馬記念で主戦を務め、同馬を勝利に導いたことでも知られています。
この記事では戸崎騎手の簡単な経歴や、年収、家族構成などプライベートに関わる部分も紹介していきます。
戸崎圭太騎手の功績
(引用元:https://umajo.jra.jp/jockey/keita_tosaki.html)
戸崎圭太騎手は2014~2016年に、3年連続リーディング騎手に輝いた実績のある、元地方競馬出身で現在はJRA所属トップジョッキーの1人です。
1998年に地方競馬教養センター騎手課程を卒業し、大井競馬場所属の騎手となりますが、2007年頃から現在JRA所属騎手である内田騎手と並び、南関東トップ騎手の1人として地方競馬ファンに知られるようになります。
2008年に当時南関東リーディングトップであった内田騎手がJRAに移籍したことで、この年から南関東トップ騎手として活躍を見せることになります。
地方競馬時代は中央のレースでも活躍した、フリオーソの主戦騎手として競馬ファンには良く知られていますが、2008年からは積極的に中央のレースに騎乗しており、2009年にはJRAのGⅠレースに騎乗を果たします。
2010年は地方競馬所属ながらも中央のレースに293鞍騎乗するなど、この頃から競馬ファンの間には地方の一流騎手として戸崎騎手の名前は広く知られていました。
2011年にはリアルインパクトでGⅠを制覇するなど、地方所属時代にピンクカメオでNHKマイルカップを制覇した内田騎手を彷彿させる活躍を見せ、2013年に3度目の中央競馬騎手免許試験挑戦で合格し、中央へ移籍を果たします。
中央では2009年頃までは武豊騎手がリーディング騎手のタイトルを独占していましたが、2010年の落馬負傷以降武豊騎手がリーディング争いから脱落し、武豊騎手の後継者を巡り内田騎手、横山典弘騎手、岩田騎手、福永騎手などのトップ騎手による熾烈なリーディング争いが起こります。
この熾烈なリーディング争いに終止符を打ったのが戸崎騎手です。
移籍後2年目となる2014年にリーディングを獲得すると、3年連続全国騎手リーディングを獲得、2016年は移籍2年目となるルメール騎手を抑え、年間187勝を挙げることに成功します。
以降ルメール、デムーロ騎手の両外国人が本格的に勝ち星を重ねたことで、全国リーディングは逃します。
ですが2014~2019年の間に6年連続関東リーディングのタイトルを獲得しており、2019年年末に落馬負傷の影響で2020年に横山武史騎手が関東リーディングを獲得するまで、関東を代表するトップ騎手でありつづけます。
現在はケガの影響もあり横山武史騎手に次ぐ関東2位の立場に甘んじていますが、GⅠなどの大レースでは、開催場所を問わず勝ち切る勝負強さが戸崎騎手の特徴であり、2022年で42歳と騎手人生の円熟期にいるため、今後も大レースでの活躍が期待されるトップ騎手の1人です。
地方騎手と中央移籍
地方競馬のトップ騎手がJRAに移籍するという流れを作ったのは、現在解説者としても知られている安藤勝己元騎手ですが、彼の移籍以降、外国人騎手がJRA騎手免許を取得する2015年までは、数多くの地方騎手が中央に移籍しており、戸崎騎手はその騎手達の中でも晩年の時期に中央へ移籍をしています。
彼の移籍以降、海外でも活躍していた藤井勘一郎騎手や障害騎手である小牧加矢太など、特殊なケースを除けば最後の地方所属騎手と言える存在です。
2003~2015年までの間は、いわば地方騎手ブームとも呼べる時期と言えましたが、この時期に移籍した中で大きな実績を残しているのは、安藤勝己騎手、岩田騎手、内田騎手、そしてこの戸崎騎手という4人の名前が挙がります。
ですが騎手リーディングを3回取っている戸崎騎手は、この4人の中でもトップの実績であり、地方競馬出身ながらも現在のJRAの顔ともいえる存在です。
戸崎圭太騎手の年収はいくら?
では実際に戸崎騎手の年収は、現時点でいくらになるのでしょうか?
直近でもある彼の2021年の年収を見てみましょう。
騎手の年収の内訳は、以下の3つで構成されています。
・レースの格に応じて騎乗ごとに支払われる「騎乗手当」
・レースの格を問わず1鞍騎乗に対して支払われる「騎手奨励手当」
2021年戸崎騎手の年収の内訳は以下の通りです。
・騎乗手当=約1,900万円
・騎手奨励手当=約1,000万円
この3つを合計し、約1億2,400万円が戸崎騎手の2021年度の騎手としての年収です。
戸崎騎手は2021年の時点で41歳ですが、騎手の年収の多くが1,000万円を超えると言われている中でも、トップクラスの年収を獲得しています。
2021年に年収1億円を超えた騎手は全部で14人いましたが、戸崎騎手はその中で9位にランクインしていることから、騎手の中でもトップクラスの年収を獲得していることがわかります。
一般企業に務めるサラリーマンと比較しても、41歳で年収1億円オーバーはかなりの高収入ですよね。
また2022年時点でキャリアハイとなる年間勝利数187勝を達成した2016年には、年収2億円オーバーを記録しています。
過去に2億円を超える年収を獲得したのは、武豊騎手、M.デムーロ騎手、C.ルメール騎手、そして戸崎騎手の4人だけです。
戸崎騎手は騎手の歴史から見ても歴代年収ランキングでトップ5にランクインできるほど、高い年収を獲得している騎手です。
戸崎圭太騎手の地方競馬時代の年収はいくら?
では戸崎騎手が地方競馬時代に獲得した最高年収はどのぐらいだったのでしょうか?
簡単に金額を見ていきましょう。
彼が地方競馬所属時代に最も高い年収だったのが2010年です。
2021年戸崎騎手の年収の内訳は以下の通りです。
・騎乗手当=約700万円
・騎手奨励手当=約500万円
・地方獲得賞金=約5,900万円
・地方騎乗手当=約800万円(※1鞍5,000円で算出)
この5つを合計し、約1億400万円が戸崎騎手の2010年度の年収になります。
なんと彼はピーク時には地方競馬所属時代から1億円を稼いでいたことがわかりました。
では次に彼が初めて地方リーディングを獲得した2008年を見てみましょう。
2008年戸崎騎手の年収の内訳は以下の通りです。
・騎乗手当=約400万円
・騎手奨励手当=約250万円
・地方獲得賞金=約5,200万円
・地方騎乗手当=約850万円(※1鞍5,000円で算出)
この5つを合計し、約7,250万円が戸崎騎手の2008年度の年収になります。
この年の中央競馬での収入は1千万円程度ですが、地方競馬トップ騎手になったことで、地方競馬の収入だけで6,000万円を超えており、この時点でかなりの高収入を獲得していることがわかりますね。
最後にデビュー2年に当たる1999年の収入を見てみましょう。
1999年戸崎騎手の年収の内訳は以下の通りです。
・地方騎乗手当=約150万円(※1鞍5,000円で算出)
2つを合計すると約450万円が戸崎騎手の1999年の年収になります。
さすがにデビュー間もないころの年収はそこまで高くありません。
そしてデビュー2年目と比較すると、最高で2億円の年収ですから、現在では40倍近い収入を得ていることがわかりますね。
2008年からは戸崎騎手は地方競馬所属時代も中央でかなりの騎乗を行っているため、中央での騎乗によってかなり年収が上がったことは間違いないでしょう。
戸崎騎手が地方に移籍したのは2013年ですが、ケガの影響で騎乗数が低下した2020年を除き、中央移籍後は安定して年収1億円を稼いでおり、収入的にみても中央移籍は大成功だったと言えるのではないでしょうか。
戸崎圭太騎手の生涯獲得賞金はいくら?
2021年終了時点で平均年収が安定して1億円を超えている戸崎騎手ですが、次に地方所属時代も含め、実際に現役生活を通して、どの位の獲得賞金を稼いでいるのかを見てみましょう。
戸崎騎手は2013年までの地方所属時代に地方競馬で約78億7,100万円を稼いでいます。
また2005年には中央競馬参戦を行っていますが、地方所属時代を含めた2021年までに中央競馬では230億4,800万円を稼いでますので、この2つを合計すると309億1,900万円が彼の2021年時点での生涯獲得金額です。
実際はここから5%引かれますので15億4,500万円が、地方、中央を通じてレースで獲得した収入です。
2021年に英国のOLBGが発表した2020年末時点での「ジョッキー獲得賞金ランキング」によると、戸崎騎手は世界中で41番目に獲得賞金を稼いでいます。
世界的に見るとまだランキングは下の方ですが、40代という働き盛りの年齢を考えると、2021年以降も安定して1億円を稼ぐことが想定できるため、大きなアクシデントが無い限り、将来的にはトップ10入りも間違いないでしょう。
戸崎圭太騎手の家族構成は?結婚はしている?
戸崎騎手の父親は公務員という経歴で競馬とは縁の無い家庭で育っています。
中学時代は野球少年だったようですが、体が小さいことからプロを目指すことを諦めたようですね。
本人曰く趣味は少ないとのことですが、現在でも野球、ゴルフ、剣道、英会話といったように、実際は趣味の数は豊富です。
また戸崎騎手は3歳年上の一般の女性の方と結婚し子供もいます。
いつ結婚したのかは不明ですが、2005年には子供さんが誕生しているので、少なくとも地方在籍中に入籍しているようです。
現在の奥さんとは友人の紹介で知り合ったそうで、戸崎騎手が一目惚れし、猛アタックの末、お付き合いをすることになったと言われています。
戸崎圭太騎手に嫁や子供はいるの?
戸崎騎手は上述の通り結婚しており、2男1女の子供に恵まれています。
奥さん麻衣子さん、2005年には長女の麻帆さんが、2008年には長男の周遊(しゅう)くん、2012年には光優(こう)くんがそれぞれ誕生し、円満な家族生活を営んでいます。
長女が生まれたての頃は子供と遊んでいたりして休日を過ごしていたようですが、地方競馬時代のピーク時には、中央競馬の騎乗と合わせると年間2000鞍近く騎乗しています。
平日に開催されることも多い地方競馬の特色を考えても、過去のインタビューで「休みはなかった」と言っているように、地方在籍時は家族サービスの時間もなかなか取れていなかっただろうと思います。
収入UPはもちろんですが、そんな忙しい環境を変えるためにも、中央移籍は最善の選択肢だったのではないでしょうか。
小学生になると長男が剣道を始めたことで、その影響で次男も剣道を始め、さらには長女も剣道を始め、今では子供たちは全員剣道をやっているようですが、戸崎騎手自身も2019年に半年ほど剣道をされていたとか。
現在は地域の保護者一同が共同で設立した剣道場の代表も務めており、平日の子供たちの稽古などに立ち会うこともあるようです。
これには一部の競馬ファンから「本業をちゃんとやれ」という批判もあったようですが、これで競馬の成績が落ちればそれぐらいのレベルの騎手と割り切り、プライベートと本業はしっかりと切り離し、保護者として地域活動に励む、家族思いのお父さんのようです。
実際に2022年は秋の時点で昨年の勝利数を上回っており、2019年のケガによる不調から回復傾向にありますが、これもワークライフバランスの両立により、本業である騎手の仕事も上手くいっていると考えることもできますね。
まとめ
いかがでしたか。
戸崎騎手はJRAの顔ともいえるトップジョッキーの1人ですが、メディアの露出が少なく地味なイメージを持っている競馬ファンもいるかと思います。
YouTube上にUPされている「2018年社台グループ謝恩会」の動画では、年下の川田騎手に当日の落馬をイジられる姿からも、誠実で真面目な印象を受けますが、プライベートでは家族サービスを欠かさない優しいお父さんのようですね。
2022年以降もJRAの顔として、再びトップ騎手に返り咲くことを願う競馬ファンも多いのではないでしょうか。
今後の戸崎騎手のさらなる活躍に期待しましょう。