ノーザンダンサー系産駒とは?特徴や代表的な競走馬を紹介!
現在、日本では2万頭を超えるサラブレッドが競走馬として登録されているといわれていますが、日本のサラブレッドのみならず、世界中のサラブレッドは元を辿っていくと「ダーレーアラビアン」「ゴドルフィンアラビアン」「バイアリーターク」という3頭のサラブレッドに集約されるそうです。
競馬の予想をするうえで、現在「血統」は重要なファクターのひとつとなっています。
本記事ではそんな血統のなかでも世界中の競走馬に影響を与えている競走馬の1頭、ノーザンダンサーについて、競走馬としての活躍を紹介し、種牡馬となってからどのような影響を競馬界に与えていったのかを解説していきます。
競馬の予想をするには血統が非常に重要!
競馬の予想をするうえで重要なのは以下の3つです。
・レースを走る競走馬の知識
・競走馬を操る騎手の知識
しかしその中でもやはり実際にコースを走る競走馬の知識をいかに得るかがそのまま馬券の的中率に反映されます。
競走馬の競走能力を知るうえで重要なのが「血統」です。
競走馬が生まれるためには必ず父馬と母馬が必要で、生まれた仔馬は父馬と母馬の特徴を何かしら持った状態で生まれます。
血統を知っていると、ある程度競走馬の特徴を把握することができるので、出走しているレースとの相性を見極めやすくなり、より正確な予想ができるようになります。
血統は出走表でもデータベースサイトでも簡単に調べることができるので、どの馬がどの馬との間に生まれたのかについては容易に調べることができます。
ノーザンダンサーとはどんな競走馬だった?
(引用元:JRA-VAN World)
ノーザンダンサーは他の馬にいたずらしたり、柵やロープを破壊するなど気性が荒かったため、実は去勢することが検討されていたそうです。
もし去勢が実行されていたら、世界の血統史はまったく異なるものとなっていたことでしょう。
ともあれデビューすると、2歳時に9戦7勝という驚異的な成績を挙げ、3歳には初戦のみ3着となった以外は重賞を含めて4連勝でアメリカのG1レースである「ケンタッキーダービー」に出走します。
レースでは直線入り口で先頭に立つとそのまま押し切りレースレコードで優勝、見事に初のG1レース制覇となりました。
プリークネスSも勝利し、3冠達成かと思われましたが、ベルモントSはレース開催地が変わってしまった影響もあったのか3着となってしまい、惜しくも3冠とはなりませんでした。
その後はカナダに戻ってクイーンズプレートに出走、7馬身差で圧勝したものの、レース後に屈腱炎を発症、そのまま引退となりました。
3歳での引退ながら通算成績は18戦14勝という凄まじいもので、競走馬としても非凡な才能を持っていただけに、3歳で引退しなければならないというのは、陣営側にとっては非常に悔やまれる思いだったことでしょう。
ノーザンダンサー系産駒が世界の競馬界を席捲
競走馬としての成績は先に解説した通りですが、ノーザンダンサーが現在においても高い評価をされているのは競走馬としての成績というよりも種牡馬としての競馬界における貢献度があまりにも大きいからにほかなりません。
現在の日本競馬界のみならず、世界の競馬界で活躍している多くの種牡馬がノーザンダンサーを祖先に持っています。
つまり、現在レースに出走している現役競走馬のほとんどがノーザンダンサーの血を少なからず継承しているということが言えるでしょう。
本項目では、ノーザンダンサーがなぜここまで世界の競馬界を席巻するほどの影響力を持つようになったのか、その理由とどのように広まっていったのかを簡単に解説していきます。
あまりにも万能すぎる適性
ノーザンダンサーが現在の競馬界を席巻するようになった最大の理由はあまりにも万能すぎる「適性能力」にあります。
ノーザンダンサー自体は完全に芝コース専用の馬として活躍したのですが、その仔馬たちは芝・ダート問わず活躍、更には距離適性も幅広く、短距離・マイル・中距離・長距離とすべての距離で活躍する産駒を輩出しました。
年間の種付け数はわずか28頭と非常に少なかったのですが(ちなみにディープインパクトはピーク時年間180頭以上の種付けをしていた)、それでもレベルの高い競走馬しか出走できない「ステークス」に勝利したステークスウィナーを140頭以上輩出、率にして23パーセント以上と、信じられないような比率を叩き出しました。
たった30年間で世界の血統図の中心として君臨
競馬は結果がすべての世界であり、優れた産駒を輩出する種牡馬には種付け依頼が殺到します。
類まれなる成果を出したノーザンダンサーの価値は飛躍的に上昇し、ついには「ノーザンダンサーの精液は、同量の金と等しい価値がある」といわれるほど希少性の高いものとなっていきました。
世界中の馬主たちがノーザンダンサーの血を欲するようになった結果、ノーザンダンサーが種牡馬となってからわずか30年の間に世界の競走馬の血統図は大きく塗り替えられ、現在ではノーザンダンサー系の競走馬たちが大きな影響力を持つようになりました。
日本競馬界においては後に「サンデーサイレンス」という大種牡馬が登場し、多くの名馬を輩出しましたが、そういった馬にも母父や父父といったような繋がり方をノーザンダンサーはしていることが多いので、当分の間ノーザンダンサー系の影響力はなくなることはないだおるといわれています。
産駒の代表馬
ノーザンダンサー系の血を引く名馬の数をすべて上げるとキリがないので、本項目ではその中でも特に有名な競走馬や日本競馬界に大きな影響力やインパクトを与えた競走馬を紹介します。
ニジンスキー
(引用元:JRA-VAN World)
ノーザンダンサー初期の代表産駒でありながら、ノーザンダンサーの産駒のなかでもっとも有名な1頭として数えられるのがニジンスキーです。
2歳で5戦全勝という圧倒的な成績を挙げると、3歳になると「ギニーステークス」「ダービーステークス」「セントレジャーステークス」の「イギリスクラシック3冠」を制して3冠馬となりました。
ちなみに日本では10年に1頭くらいのペースで3冠馬が誕生していますが、イギリスにおいてはニジンスキー以降現在に至るまで、つまり50年以上3冠馬が誕生していません。
このことを見るだけでもニジンスキーがいかに傑出した競走馬であることが分かるでしょう。
その後も「凱旋門賞」で2着になるまで11戦11勝という大記録を達成、凱旋門賞2着に続いて引退レースとなったチャンピオンステークスでも2着に敗退してしまいましたが、全13戦で連対を一度も外さなかったというのは高い評価をされるべきでしょう。
ノーザンテースト
(引用元:youtube)
ノーザンテーストを落札したのは現社台ファーム代表の吉田照哉氏で、父・善哉氏に電話をした際に「日本に帰ったら何を食べたい?」という問いに照哉氏は「寿司を食べたい」と答えたというエピソードがあり、その結果この馬の名前を父であるノーザンと、味という意味である「テースト」を併せた名前になったそうです。
しかし競走馬としての成績は先に紹介したニジンスキーと比べるととても優れていたとはいいがたく、20戦5勝、G1レースはフォレ賞を勝利しただけでした。
ところが種牡馬としては父であるノーザンダンサーの血を色濃く受け継いでいたのかあらゆるレースに高い適性を持つ競走馬が誕生、同じ産駒で成果を争い合うことなくいろいろな条件のレースで満遍なく活躍するという種牡馬としては非常に優れた特徴を持っていました。
その結果、20世紀の日本競馬界において最も成功した種牡馬の1頭に数えられています。
クロフネ
(引用元:JRA-VAN)
ノーザンダンサー系の代表産駒として紹介した4頭のうち、最も馴染み深いのがこのクロフネではないでしょうか。
もちろんクロフネが活躍した年代とノーザンダンサーが種牡馬として世界を席巻していた時代とではあまりにもかけ離れているため、ノーザンダンサーは直接の父親というわけではありません。
クロフネの父親はフレンチデピュティという馬でその馬の父親がデピュティミニスター、更にその父親がヴァイスリージェントで、ヴァイスリージェントの父親がノーザンダンサーでした。
クロフネはNHKマイルを勝利しただけではなく、武蔵野ステークスでは9馬身、ジャパンカップダートでも7馬身差をつけて圧勝と、芝とダートのG1両方を制した数少ない競走馬として競馬ファンにはあまりにも有名です。
ストームキャット
(引用元:youtube)
ストームキャットは父の父がノーザンダンサーで、競走馬としてはだった2年で引退してしまった上にだった5戦で引退と、全く奮いませんでしたが、種牡馬入りすると初年度から活躍する競走馬が次々現れたため種付け料がどんどん上昇していき、ピーク時には当時のレートで約6,000万円という信じられないような金額となり、一時日本でも話題となりました。
直系ではそれほど大きな成績を残せてはいませんが、父の父や母の父などを含めていくと、ロードカナロアをはじめ、キズナ、ラヴズオンリーユーなどとG1馬を多数輩出しています。
まとめ
ノーザンダンサーは、自身も競走馬として大活躍し、3歳で引退するまでのたった2年の間に18戦14勝という成績を残しました。
これだけでも世界の競馬史に名を残す名馬なのですが、ノーザンダンサーが高く評価されるのはむしろ種牡馬になってからで、初年度から活躍する産駒を輩出、2年目にはイギリスクラシック3冠を達成するニジンスキーが誕生、ノーザンダンサーの種牡馬としての価値は一気に上昇しました。
種付け制限が厳しい事もあってか、ピーク時にはノーザンダンサーの精液は同量の金と同じ価値があると言われる程重宝され、ノーザンダンサーが種牡馬となってからわずか30年で世界の競走馬の血統勢力図はすっかり塗り替えられ、今ではノーザンダンサー系の血が全く流れていない競走馬を探すのが難しいほどです。
これ程までに世界中にノーザンダンサー系の血統が広まった最大の理由は「どんな条件でも活躍できる産駒を輩出できるオールマイティさ」で、芝・ダートのみならず、距離の制限さえも乗り越えて産駒が活躍しています。
その特徴は産駒たちにも受け継がれていて、新たな一大勢力を生み出す一因になっており、これから先も当分の間ノーザンダンサー系の血統が無くなる事はないでしょう。