日本競馬における最強馬を部門別に紹介!歴代最強はどの馬か?
日本競馬は100年以上もの歴史があります。
そのなかには、G1レースをいくつも勝利し、その時代の競馬界の頂点に立った馬もいました。
また、歴史を振り返っても別格の強さで国内競馬のみならず、海外の競馬で活躍した馬もいます。
ここでは、歴代の競走馬のなかでもトップクラスに強い、最強ともいえる馬を紹介します。
最強馬の定義
最初に最強馬の定義を簡単に紹介します。
やはり、多くのG1タイトルを手にしていることは評価したいポイントです。
また、G1タイトル数が少なくても、ポテンシャルをフルに発揮した馬や強い相手に勝った馬も評価したいですね。
誰もが認める最強牡馬トップ5
最初に、すべての競馬ファンが認める歴史的に有名な名馬を紹介します。
1位:ディープインパクト
(引用元:https://prc.jp/jraracingviewer/contents/yushun/001.html)
競馬にくわしくない人でも名前を耳にしたことがある馬といったらディープインパクトでしょう。
「飛ぶように走る」ディープインパクトの競馬は主戦を務めた武豊騎手のみならず、数多くの競馬ファンを虜にしました。
デビューから競走馬として完成されていたディープインパクトはその飛ぶような追い込み競馬で、同期の馬を鮮やかに捕え続け、またたくまにクラシック三冠を無敗で手にします。
古馬になってからも大舞台で結果を残したディープインパクトの通算成績は14戦12勝です。
中距離から長距離にかけて抜群の安定感で勝利を手にしました。
敗れた有馬記念において、ディープインパクトに先着したハーツクライはディープインパクトに勝ったことが高く評価され種牡馬入りするほどです。
凱旋門賞は3着に敗れましたがのちに海外では使用禁止の薬物が体内から抽出され失格になります。
ディープインパクトの輝かしい名誉は大いに傷つきましたが、その後国内のG1レースを勝利することでディープインパクト自身が汚名返上しました。
4歳時点でG1タイトルを7つ収めていたこともあり、まだまだ活躍できそうでしたが、ポストサンデーサイレンスの獲得が急務となり、4歳の有馬記念を最後に引退しました。
2位:オルフェーヴル
(引用元:https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/g1/takara/result/takara2012.html)
オルフェーヴルはディープインパクトのあとに誕生した三冠馬です。
レースで凡走することもありましたが、出し切った時の時の末脚は本物で、スタミナとパワーをフルに活かした競馬を得意としています。
また、気性の荒さも有名で、主戦の池添騎手を何度も振り落とそうとしました。
常に好走していたディープインパクトと比較しても全くタイプの違った三冠馬でしたが、ファンに愛された名馬です。
クラシック三冠はもちろんのこと、古馬になってからも競馬界の注目の的でした。
阪神大賞典では1周目のホームストレッチから仕掛けてしまい、向こう正面で失速しながら再び這い上がる姿はもはや伝説となっています。
凱旋門賞にも2度出走しました。
一度目の凱旋門賞ではあわや勝利を手にするのではという競馬で日本中を沸かせました。
そして、引退レースの有馬記念では総力を出し切って8馬身差の完勝劇で有終の美を飾ったのです。
3位:キタサンブラック
(引用元:https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/g1/haruten/result/haruten2017.html)
北島三郎さんの所有馬として一気に注目を集めたキタサンブラックは、春のクラシックの時点では目だたない存在でした。
なぜなら、同期に二冠タイトルを手にしたドゥラメンテがいたからです。
しかし、ドゥラメンテが怪我のためにターフを去ると、最後の一冠である菊花賞を制し、古馬になってからも中距離から長距離にかけて結果を残しました。
キタサンブラックは無尽蔵ともいえるスタミナを活かした逃げを得意としていますが、菊花賞や不良馬場の天皇賞(秋)では追い込み競馬で結果を残しているように、後方競馬も得意としています。
最終的に手にしたG1タイトルは7つで、当時獲得賞金トップだったテイエムオペラオーの記録を更新し、引退しました。
4位:シンボリルドルフ
(引用元:https://prc.jp/jraracingviewer/contents/yushun/007.html)
80年代半ばに活躍したシンボリドルフは日本競馬界初となる、無敗で三冠タイトルを手にした名馬です。
デビューから洗練された馬体は関係者の目に留まり、当時国産の競走馬が勝利したことがなかったジャパンカップを勝つことを目標に調教が行われました。
その調教の成果がみごと実り、皐月賞、そしてダービーと無敗で二冠を手にします。
最後の一冠をかけた菊花賞は当初出走する予定はありましたが、ファンの期待に応えて出走して勝利を収め、史上初となる無敗の三冠馬となりました。
シンボリルドルフを取り囲む関係者の最大目標であったジャパンカップは当時、菊花賞から中1週というハードローテーションでしたが、そこにも参戦します。
この年は逃げたカツラギエースの2着に敗れましたが、翌年、リベンジを果たしました。
最終的にはクラシック三冠を含め、G1タイトルを7つ手にしたシンボリルドルフは、それ以前に五冠タイトルを手にしたシンザンを越えた馬として、競馬の歴史に名を刻みました。
5位 エルコンドルパサー
(引用元:https://prc.jp/jraracingviewer/contents/yushun/010.html)
スペシャルウィークやグラスワンダーの同期であるエルコンドルパサーは外国産馬のためにクラシックレースに出走することは適いませんでした。
しかし、デビューから勝ち星を重ねたエルコンドルパサーは瞬く間に当時〇外G1といわれていたNHKマイルを勝利し、無敗でG1馬になります。
その年の毎日王冠ではひとつ上のサイレンススズカ、そして同期のグラスワンダーとの初対決となり、真っ向からサイレンススズカに挑みましたが、サイレンススズカの影すら踏ませない走りに敗れ、初黒星を飾ります。
しかし、その後挑んだジャパンカップにおいてはその年のダービー馬であるスペシャルウィークに先着し、世代最強馬となりました。
古馬になってからは凱旋門賞を目標に、半年近く海外で生活します。
その間も海外競馬に挑戦し、フランスの重賞を2つ手にして陣営の最大目標である凱旋門賞に挑みました。
この年の凱旋門賞は重馬場のため、エルコンドルパサーにとって決して恵まれた条件ではなかったものの、スローの逃げでベストを尽くします。
あわや勝利を手にするかと思われたところ、重馬場巧者のフランス馬、モンジューに差されて2着に入線しました。
日本馬としては初となる凱旋門賞での2着は、日本の競馬関係者を大いに盛り上げたのです。
競馬界の中心に立った最強牝馬ランキング
競馬界で活躍するのは牡馬だけではありません。
牡馬と真っ向勝負で幾多の勝利をつかんだ牝馬も存在します。
歴史に名を残した牝馬を紹介しましょう。
1位:アーモンドアイ
(引用元:https://jra.jp/datafile/seiseki/g1/jc/result/jc2020.html)
アーモンドアイは2020年まで現役で活躍していた馬なので、ライト層にも知名度の高い馬です。
後方からの差し切り競馬を得意としていますが、初の古馬混合戦となった2018年のジャパンカップでは自ら先行競馬を行い、当時の世界レコードを大きく上回る2分20秒6のレコードで勝利を手にしました。
古馬になってからも先行から追い込みまで、どのような形でも競馬し、国内でも海外でも結果を残しています。
ただし、2019年の有馬記念では最後の直線で脚が止まっているように、一部の競馬場は苦手でした。
舞台によって得意不得意のある馬でしたが、最終的にはディープインパクトやシンボリルドルフを超えるG1タイトルを9つ手にしました。
また、引退レースとなった2020年のジャパンカップでは無敗の三冠馬であるコントレイルやデアリングタクトに先着し、先輩三冠馬の威厳を大いに示したのです。
2位:ジェンティルドンナ
(引用元:https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/g1/oaks/result/oaks2012.html)
ディープインパクト産駒でもっともG1タイトルを手にしたジェンティルドンナは牝馬三冠を達成しただけではなく、古馬になっても牡馬混合のG1レースに挑み続けました。
秋華賞のあとに挑んだジャパンカップではひとつ年上の三冠馬であるオルフェーヴルとのマッチレースとなり、オルフェーヴルに体当たりしながら勝利を手にしました。
翌年のジャパンカップも勝利し、牝馬としては初となるジャパンカップの連覇を成し遂げました。
また、ドバイシーマクラシックをレコードで勝利したり、引退レースとなった有馬記念では初の中山にも関わらず、有力牡馬を蹴散らして勝利を収めています。
人によってはディープインパクト産駒最強の馬として名を挙げるほどの歴史的牝馬です。
3位:ブエナビスタ
(引用元:https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/g1/akiten/result/akiten2010.html)
2000年代末の競馬界を駆け抜けた馬といったらブエナビスタです。
牝馬三冠こそ達成できませんでしたが、その年に挑んだエリザベス女王杯では逃げるクイーンスプマンテとテイエムプリキュア相手に鬼気迫る豪脚で3着に入線し、負けて強しの競馬を行いました。
古馬になってからはもっぱら古馬混合戦に挑み続け、有力牡馬が参戦したG1レースでも1番人気に支持されるなど、常に人気の中心にいました。
その支持はデビューから常に1番人気を集めるほどです。
引退レースとなった有馬記念で当時3歳馬だったオルフェーヴルにはじめて1番人気の座を譲りましたが、それまではつねに1番人気でした。
引退レースの有馬記念では有終の美を飾ることはできませんでしたが、常に第一線に立って結果を残したブエナビスタを高く評価する人は多数います。
4位:ダイワスカーレット
(引用元:https://prc.jp/jraracingviewer/contents/yushun/009.html)
ウオッカと同期のダイワスカーレットの最大の特徴は抜群の安定感です。
12戦8勝2着4回、連対率100%の成績は非のつけようがありません。
脚質も逃げから先行を得意としていて、ウオッカとはまた違ったタイプの馬でした。
3歳時点で桜花賞と秋華賞、そしてエリザベス女王杯も勝利しましたが、この年は牝馬ながらダービーを手にしたウオッカのインパクトにはかなわなかったです。
しかし、古馬になって挑んだ秋の天皇賞では、ライバルウオッカを尻目に逃げの競馬を行い、最後の最後まで粘りのある競馬を見せました。
最後の最後、ウオッカに捕らえられたものの、その差はたったの2センチで、どちらが勝ってもおかしくありませんでした。
引退レースとなった有馬記念は逃げの競馬で牡馬を出し抜き勝利を収め、1971年のトウメイ以来、37年ぶりの牝馬による有馬記念勝ち馬となったのです。
5位:リスグラシュー
(引用元:https://jra-van.jp/fun/memorial/2014106220.html)
ハーツクライ産駒のリスグラシューは、デビュー時から結果を残していたもののなかなかG1タイトルを手にすることができませんでした。
はじめて手にしたG1が4歳の秋に挑んだエリザベス女王杯です。
同期の馬と比較しても遅咲きの部類でしたが、ハーツクライ産駒らしく、ここから一気に急成長を遂げます。
5歳で挑んだ宝塚記念は紅一点ながらもタフな仁川の馬場で鮮やかに抜け出し、同期のクラシックホースであるレイデオロやアルアイン、キセキをかわして勝利します。
秋初戦に挑んだオーストラリアのムーニーヴァレー競馬場で開催されたコックスプレートにおいても、直線わずか173mしかない舞台で差し切って勝利しました。
引退レースとなった有馬記念ではアーモンドアイに人気が集中する中、抜群の手ごたえで最後の直線に入ると、道中で一杯になったアーモンドアイをはじめ、並入りG1ホースを出し抜いて加速し、2着馬に5馬身差をつける圧勝劇で有終の美を飾ったのです。
【部門別】特定の舞台で大活躍した馬
競走馬には得意な舞台があります。
これまで紹介した馬はメジャーな中距離路線で結果を残した馬を紹介しましたが、特定の部門で大活躍した馬も少なからず存在します。
最強スプリンターのロードカナロア
(引用元:https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/g1/sprint/result/sprint2013.html)
ロードカナロアを史上最強の短距離ホースと呼ぶ人は多いです。
なぜなら、逃げ、先行馬が圧倒的に有利な短距離界において、常に上がりの速い差し切り競馬で勝利し続けたからです。
最終的にロードカナロアが手にしたG1タイトルは6つで、そのうちの2つが香港スプリントです。
当時、日本の競走馬で香港スプリントを制した馬は一頭もいませんでした。
そのため、「凱旋門賞よりも勝つのが難しいレース」といわれることもあったのです。
しかし、ロードカナロアは香港スプリントを制し、さらに翌年も勝利したことで連覇を達成したのです。
生涯成績も申し分なく、19戦13勝、2着5回の3着1回という安定感は一瞬の判断が致命傷となる短距離界において抜群の成績を誇りました。
引退後は種牡馬入りし、初年度産駒として歴史的名馬となるアーモンドアイを輩出しました。
マイルの支配者、タイキシャトル
(引用元:https://prc.jp/jraracingviewer/contents/yushun/029.html)
90年代を代表するマイラーはタイキシャトルです。
人によっては史上最強マイラーという人もいます。
〇外のため、クラシックレースに出走することは叶いませんでしたが、短距離からマイルにかけて結果を残しました。
同期の国内馬がクラシックを賑わせた年にタイキシャトルはマイルCSとスプリンターズステークスを勝利します。
古馬になってからその活躍はめざましく、フランスのジャック・ル・マロア賞を勝利したことで日本調教馬としては初となる海外G1を達成、その後帰国してからもマイルCSを連覇しています。
引退レースとなったスプリンターズステークスこそ3着に敗れましたが、それまでの成績から外国産馬としては初となる年度代表馬に選出されました。
大器晩成のモーリス
(引用元:https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/g1/akiten/result/akiten2016.html)
スクリーンヒーロー産駒の大物といったらモーリスですが、3歳時点では全く目立った活躍を見せていません。
モーリスが本格化したのは古馬になってからです。
3歳のときは背腰の痛みがあったらしく、レースで集中できなかったそうです。
しかし、美浦の名門、堀厩舎に転厩し、入念なケアが施されたモーリスは古馬になってから覚醒します。
この年の安田記念を勝利すると、秋のマイル王決定戦であるマイルCSにぶっつけで挑んで勝利、この年の年度代表馬に選出されました。
5歳になってからは中距離路線にも挑みます。
初の2000m戦となった札幌記念こそネオリアリズムの逃げに敗れましたが、続く天皇賞(秋)では中距離巧者のリアルスティールをかわして勝利します。
引退レースに選んだ香港カップでも世界の強豪相手に立ち向かえるよう徹底的に仕上げられ、みごと応えて有終の美を飾りました。
ディープインパクト産駒最強の短距離馬、グランアレグリア
(引用元:https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/g1/sprint/result/sprint2020.html)
グランアレグリアはディープインパクト産駒唯一の短距離G1を手にした牝馬です。
鋭い追い込みを得意とする馬で、桜花賞をあっさり手にしました。
しかし、オークスを回避して挑んだNHKマイルはまさかの5着に敗れ、そこから長期休養を挟みます。
グランアレグリアが復帰したのが暮れの阪神カップです。
初の古馬戦でなおかつ1400mの距離で結果を残せるのか不安視されていましたが、力のある走りで勝利し、短距離路線に方向が定まりました。
古馬になってからは短距離とマイルを中心に使われました。
その末脚はG1レースでも通用し、4歳で挑んだ安田記念では当時最強馬だったアーモンドアイを真っ向からねじ伏せています。
スプリンターズステークスやマイルCSにおいても絶望的な位置から抜群の上がりで勝利を手にしました。
5歳になってからはさらに距離を伸ばし、大阪杯や天皇賞(秋)にも挑みましたが、さすがに中距離のスペシャリストにはかないませんでした。
それでも掲示板を外していないので相手に恵まれていたら中距離重賞も手にするだけの素質はあったでしょう。
グランドスラムを成し遂げたテイエムオペラオー
(引用元:https://www.jra.go.jp/gallery/3minmeiba/horse5/index.html)
テイエムオペラオーは若き和田竜二騎手を一流ジョッキーに育て上げた馬といっても過言ではありません。
テイエムオペラオーの生涯最大の功績は、日本競馬史上ただ一頭、グランドスラムを成し遂げた馬であることです。
グランドスラムとは、当時の古馬中長距離G1である天皇賞(春・秋)、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念を一年のうちに勝利することです。
テイエムオペラオーは古馬になった年に、古馬G1を5勝しただけではなく、ステップレースとして選んだ京都記念と阪神大賞典、そして京都大賞典も勝利し、無敗で8連勝しました。
翌年も第一線で活躍したテイエムオペラオーは、グランドスラムを成し遂げた馬として、また、キタサンブラックに記録を塗り替えられるまで獲得賞金リーディングトップに立っていました。
最強ステイヤー、メジロマックイーン
(引用元:https://prc.jp/jraracingviewer/contents/yushun/015.html)
90年代初頭に活躍したメジロマックイーンは典型的なステイヤーホースです。
はじめて手にしたG1タイトルは菊花賞で、この時期からステイヤーとしての素質を開花していました。
古馬になってからも長距離で結果を残し、天皇賞(春)を手にしたことで親子三代にわたる天皇賞馬となりました。
ちなみに、天皇賞(春)は翌年も制覇しているので連覇を成し遂げています。
中距離でも結果を残していて、宝塚記念を制しているほか、降着とはいえ天皇賞(秋)も先頭でゴールインしていて、中距離適性も非常に高かったのです。
引退後は種牡馬入りし、母の父としてオルフェーヴルやゴールドシップを輩出しています。
2頭が種牡馬入りしていることからも、メジロマックイーンの血が途絶えることはないでしょう。
ダートで覚醒したクロフネ
(引用元:https://jra.jp/gallery/3minmeiba/horse10/index.html)
種牡馬として活躍していたクロフネはNHKマイルを勝った馬で、当初は芝の第一線で活躍する馬だと誰もが思っていました。
しかし、ある出来事がきっかけでダートに矛先を変えます。
3歳の秋で挑む予定だった天皇賞(秋)は例年有力馬が集いますが、この年もメンバーが揃いました。
クロフネは賞金的にぎりぎり出走できるラインでしたが、アグネスデジタル陣営が出馬を表明したことで出走できなくなります。
万全の状態にもかかわらずレースに挑めませんでしたが、血統的にダートも走れる可能性があり、来年以降フェブラリーステークスへの参戦も検討していたことから、天皇賞(秋)の前日に開催されるダート重賞の武蔵野ステークスに出走することにしました。
初ダートにも関わらず1番人気を背負ったクロフネはスタート直後から好位をつけると、直線でも楽々と後続を突き放し、2着に入線したイーグルカフェに9馬身差をつけて圧勝してしまったのです。
ダートの適性が発揮されたクロフネは続くジャパンカップダートも制しました。
ダートで才能を開花させ、ドバイワールドカップも視野に入るほどでしたが、屈腱炎を発症し、引退することになりました。
ちなみに、天皇賞(秋)に参戦したことで一部から非難の声が上がったアグネスデジタルはその声を物色するように天皇賞(秋)を勝利しています。
最強のダート牝馬、ホクトベガ
(引用元:https://jra-van.jp/fun/memorial/1990106608.html)
ホクトベガは最強のダート牝馬といってもいいでしょう。
もともとは芝のG1馬でしたが、芝レースでなかなか勝ち切れない中設けられた地方中央の交流重賞にいち早く挑んだ馬です。
川崎で開催されたエンプレス杯では中央のG1馬が参戦するとなり、多くの観客が詰め寄りましたが、その期待以上の活躍を見せました。
なんといっても先頭に立ってからの余裕のありすぎる手ごたえで、地方とはいえダートのスペシャリスト相手に18馬身ぶっちぎって勝利を収めてしまったのです。
この一戦でダートホースとしての片鱗を証明したホクトベガは翌年から本格的にダートに挑み、地方競馬の重賞を9つ手にしました。
7歳になったホクトベガはダートの凱旋門賞ともいわれるドバイワールドカップに向かうことになります。
しかし、当時ほど交通の便が発達していなかったことと、猛暑のドバイで開催することもあり、ドバイにたどり着いたころのホクトベガは相当やつれていました。
悲運はそれだけにとどまりません。
レース中にほかの馬に接触したホクトベガは後続に体当たりされたことで骨折してしまい、そのまま予後不良となってしまったのです。
ホクトベガの最期は悲運極まりませんが、できたての交流重賞を大いに盛り上げ定着させたのはホクトベガの功績だといえるでしょう。
障害絶対王者のオジュウチョウサン
(引用元:https://jra-van.jp/fun/memorial/2011101125.html)
それまで、障害レースは平場のレースと比較するといまいち盛り上がりに欠けていました。
障害レースは平場で結果を残せなかった馬が流れる傾向があったので、生粋の障害ホースが不在だったからです。
しかし、障害絶対王者といわれるオジュウチョウサンが活躍すればするほど、関係者は障害レースを取り上げ、多くの競馬ファンも注目するようになります。
どんな厳しいコースでも結果を残すオジュウチョウサンは、中山グランドジャンプを5連勝するなど、歴代の障害ホースと比較してもまぎれもない最強の障害ホースといえるでしょう。
レース内容も圧巻です。
先行競馬で出し抜くこともあれば、ライバルであるアップトゥデイトの大逃げに食らいついた2018年の中山大障害など、見ているだけで興奮するレースも多々行いました。
オジュウチョウサンは2022年2月、すでに11歳ですがいまでも現役で活躍しています。
戦前のダービー馬、クリフジ(牝)
(引用元:https://www.jra.go.jp/gallery/dendo/horse03.html)
牝馬のクリフジが活躍したのはいまから80年以上も前の話です。
主な勝ち鞍はダービー・オークス・菊花賞で、牝馬にもかかわらずダービーと菊花賞を制しています。
通算成績は11戦11勝で、無敗というだけでもすばらしいですが、ダービーは6馬身差、オークスは10馬身、そして菊花賞は大差で勝利していて一戦ごとのパフォーマンスも別格でした。
ちなみに皐月賞は脚部不安のために出走できませんでした。
もし皐月賞に出走することができていれば、史上初の無敗の三冠馬はシンボリルドルフではなく牝馬のクリフジだったかもしれません。
まとめ
いかがでしたか。
誰もが認める最強馬から、部門ごとに少しマニアックな馬まで紹介させていただきました。
今回紹介しきれなかった馬もたくさんいます。
歴史で活躍した競走馬はたくさんいるので、ぜひ調べてみてくださいね。