蛯名正義の年収と獲得賞金、これまでの活躍と結婚・家族についても紹介
往年の競馬ファンのなかで蛯名正義氏の事を知らない人は居ないのではないでしょうか。
現在は中央競馬の騎手としては活躍していませんが、現役時代は数々の競走馬を名馬に仕立て上げたトップジョッキーの1人でした。
本記事では、蛯名正義騎手について、これまでの活躍や生涯獲得した賞金などについて解説していきます。
蛯名正義騎手のプロフィール
https://www.jra.go.jp/school/jockey/world/int03.html
蛯名騎手の基本的な情報を表にまとめました。
生年月日 | 1969年3月19日 |
血液型 | A型 |
初免許取得年 | 1987年 |
初勝利 | 1987年4月12日 |
重賞勝利数 | 161勝 |
G1勝利数 | 31勝 |
初勝利まで
(引用元:https://www.youtube.com/watch?v=dCzQsj85yTU)
蛯名氏は小学生のころに当時現役最強の一角だったグリーングラスが菊花賞に勝利したレースをテレビで見た際に深く魅了され、騎手を志すようになります。
ところが当時蛯名騎手は足の難病の治療中であり、騎手どころか日常生活をまともに送れるかすらも確かではないという状況でした。
その病気の治療で入院していた病院に当時現役のプロ野球選手だった王貞治氏が慰問に訪れ、蛯名氏は王選手とじゃんけんをするという貴重な経験をしています。
じゃんけんの結果は見事勝利で、そのご褒美に抱っこをしてもらったというエピソードがあります。
それがきっかけとなったかは定かではありませんが、足の病気が奇跡的に回復し完治することとなりました。
蛯名氏は中学校卒業後に競馬学校に入学します。
同期にはあの武豊騎手がいました。
(引用元:https://www.youtube.com/watch?v=1WMvbVeo6ys&t=72s)
卒業後はお互いしのぎを削るライバルとなり、騎手引退後は良きパートナーとして現在も深い交流があります。
1987年3月1日中山競馬場でのレースが初騎乗となりました。
この時に騎乗した競走馬は14番人気と人気薄の馬であり、結果は人気と同じく14着とほろ苦いデビュー戦となります。
それから約1か月半後の4月12日、同じ中山競馬場でのレースで初勝利を飾りました。
蛯名正義騎手のこれまでの活躍を紹介
蛯名氏が騎手としてこれまでどのような活躍をしてきたかを順を追って解説していきます。
詳細に解説すると非常に長くなるため、要点のみの説明となる点はご了承ください。
デビュー1年目で新人騎手賞を受賞
デビューして1か月目の初勝利と初勝利までにかかった日数は決して早くはないのですが、そこから蛯名氏は着実に勝利数を積み重ねていき、デビュー1年目にして通算勝利数を30勝にまで伸ばします。
この活躍の結果、蛯名騎手は新人騎手賞を獲得することとなりました。
普通であれば最多勝利新人騎手を受賞してもおかしくない勝利数なのですが、同期の武豊騎手がデビュー年で69勝というありえないような勝利数を叩き出したため、最多勝利新人騎手獲得とはなりませんでした。
重賞初勝利とG1レース初勝利
それ以降も着実に勝利数を積み重ね、重賞レースに出走する機会を与えられながらもなかなか重賞初勝利には恵まれませんでした。
しかし騎手としてデビューしてから6年目となる1992年、フェブラリーハンデキャップ(現フェブラリーステークス)にラシアンゴールドに騎乗すると勝利、この勝利がはじめての重賞レース勝利となりました。
そして1995年、フジヤマケンザンに騎乗して香港国際カップに勝利、この勝利が日本競走馬としては初の外国重賞制覇となります。
翌1996年、バブルガムフェローで天皇賞秋を勝利、デビュー9年目にしてついに念願のG1レース初制覇を果たしました。
1998年エルコンドルパサーで凱旋門賞に挑戦
蛯名氏を語るうえでエルコンドルパサーとの凱旋門賞挑戦は外せないエピソードです。
1998年にエルコンドルパサーでジャパンカップに優勝すると翌年はフランスにわたって重賞レースであるサンクルー大賞に勝利します。
エルコンドルパサーは凱旋門賞制覇に向けてフランスに長期滞在し、万全の体制で本レースに参加、見事に当時では最高位となる2着を獲得しました。
この年はほかにもウメノファイバーでオークスを、安田記念とマイルチャンピオンシップをエアジハードで制覇しています。
2001年リーディングジョッキーに輝く
蛯名氏の長い騎手人生のなかでも2001年はもっとも輝かしい実績を残す1年となります。
トロットスターで高松宮記念を制すると、秋には同馬でスプリンターズステークスにも勝利します。
更にマンハッタンカフェで菊花賞に勝利したほか、ダートではJBCスプリントをノボジャックで勝ち、年末の有馬記念も菊花賞を制したマンハッタンカフェとのコンビで出走して勝利、G1クラスのレースを5勝するという大活躍でした。
勝利数も133勝とトップとなり、自身初のリーディングジョッキーの座にも輝いています。
2011年牝馬三冠達成
翌2002年にもG1レースを勝利しましたが、それ以降長きにわたるスランプに陥り、2006年にドリームジャーニーで朝日杯フューチュリティステークスを制するまで4年間G1レースに勝てないという日々を経験することとなりました。
この勝利以降は再びG1レースに毎年のように勝利することとなります。
そして2010年、名牝アパパネの主戦騎手となり、桜花賞、オークス、秋華賞の牝馬三冠レースをすべて制覇、同馬を牝馬三冠馬に導くと共に自身も初めて牝馬三冠ジョッキーの座に輝きました。
蛯名正義騎手の年収とこれまでの獲得賞金について
蛯名氏は既に騎手としては引退されているため、年収を紹介することはできません。
生涯に獲得した年収についてですが、中央競馬では約505億円、地方競馬では約16億6,000万円となっており、合計すると約521億6,000万円を騎手人生で獲得したということになります。
蛯名正義騎手がこれまで騎乗した競走馬たち
蛯名氏はこれまで数々の名馬に跨り、多くのG1レースを勝利してきましたが、その中から特に著名な競走馬4頭をここでは紹介します。
エルコンドルパサー
最強世代の一角とされる「98年世代」のなかでも頭一つ抜けた強さを持っており、ウマ娘プリティーダービーでも最初期から実装されているということもあり、知名度は抜群の名馬です。
外国で誕生した競走馬だったため当時クラシック三冠の出走権がありませんでしたが、もし出走していれば三冠のうちどれかひとつは勝利していたであろうと言われています。
また、蛯名氏騎乗によって凱旋門賞で2着になっていることでもよく知られています。
その際は現在のように直前に遠征してレースに出走するという方式ではなく、年度早々にフランスに渡り、向こうの環境にしっかりと適応させての挑戦という方式を採用しました。
マンハッタンカフェ
菊花賞、有馬記念、天皇賞春と、とにかく長距離レースで無類の強さを誇る競走馬でした。
しかし常に蹄部分に不安を抱えており、4歳児になるとその影響が顕著に表れます。
結局4歳時は勝利した天皇賞春も含めて3レースしか出走することができず、凱旋門賞での出走をもって引退することとなりました。
菊花賞、その年の有馬記念を勝利、さらに天皇賞春を勝利した競走馬というのは2022年現時点においてもマンハッタンカフェとシンボリルドルフの2頭のみです。
アパパネ
2歳時に阪神ジュベナイルフィリーズに勝利すると3歳で桜花賞、オークス、秋華賞を制覇し、当時史上3頭目となる牝馬三冠を達成しました。
更に翌年ヴィクトリアマイルも制しており、G1レースを5勝している稀代の名牝です。
オークスのゴール前ではサンテミリオンとの壮絶なたたき合いとなり、レース終了後10分以上の長い写真判定でも着順の優劣をつけることができず、同着優勝という非常に珍しい結果となっています。
引退後は繁殖牝馬となっており、秋華賞を制したアカイトリノムスメが代表産駒です。
フェノーメノ
フェノーメノは天皇賞春を連覇した数少ない競走馬の1頭です。
特に競走馬にとって致命的な怪我のひとつである繋靭帯炎を発症しながら克服、勝利した2回目の天皇賞春制覇はフェノーメノだけではなく、関わった関係者全員でつかみ取った勝利だといえます。
しかしそれ以降は勝ち切ることができず、さらに5歳時に重度の屈腱炎を発症、これが決め手となり引退して湯牡馬入りすることとなりました。
蛯名正義騎手は結婚している?
蛯名氏は元キャスターだった方と結婚されており、既婚者です。
お子さんについて詳しい情報は見つかりませんでしたが、いらっしゃることは間違いなさそうです。
もしかすると近い将来、騎手として活躍する蛯名氏のお子さんの姿を見ることになるかもしれませんね。
2021年調教師へと転身
アパパネが引退して以降もG1レースを勝利していましたが、2016年以降はG1レースで勝利することが出来なくなってしまいます。
騎手として活躍し続けながら調教師の勉強をし、2021年の新規調教師免許に合格、2021年度末の騎乗をもって騎手を引退し、2022年より調教師として第二の人生を歩むことになりました。
そのほかエピソードなど
【有馬記念(G1)・枠順確定速報】(最終)
8枠⑯番
マリアライト(蛯名正義)蛯名正義騎手、有馬記念の抽選会が始まってからは3年連続16番です。https://t.co/LeHGm0VTIC #競馬 #keiba #有馬記念 pic.twitter.com/OIL5NZcSDV
— 競馬ラボ (@keibalab) December 21, 2016
蛯名氏は30年の騎手人生のなかで25回ダービーに挑戦しましたが、結局最後まで日本ダービーでは勝つことができませんでした。
蛯名氏のような超一流騎手でも勝てないのですから、ダービーに勝利するということがいかに難しいかが分かります。
また、有馬記念の公開枠順抽選では3年連続で8枠16番を引くという珍記録を樹立したことがあります。
1回目、2回目、3回目とすべて異なる順番でのくじ引きだったのですが、全て同じ枠番となってしまい、8枠16番を引いた時はさすがに苦笑いを浮かべていたそうです。
まとめ
蛯名正義氏はレジェンド騎手武豊騎手と同期であり、30年間の騎手人生の間にG1レースを27勝したトップジョッキーでした。
特に2001年にはG1レースを5勝、更にはリーディングジョッキーの座に輝くなど無類の強さを発揮しているほか、2010年にはアパパネとのコンビで牝馬三冠を達成しました。
また、海外のレースでもその強さを発揮しており、凱旋門賞では2度2着に入着しています。
騎手として活躍しているさなかに調教師試験を受けて見事に合格、2021年をもって騎手を引退し、現在は調教師として第二の人生を歩んでいます。
蛯名氏の調教した競走馬に武豊騎手が騎乗して勝利するなど、現在は良きライバルから良き相棒となっており、いつの日か蛯名正義氏が調教した競走馬で武豊騎手がG1レースを勝利することを多くの競馬ファンが夢見ていることでしょう。