現役最強C.ルメール騎手の年収や家族構成を紹介
2022年現在で国内最強騎手は誰かと問われればルメール騎手の名前を挙げる人が多いと思います。
フランス人ながらも日本でトップ騎手として活躍するC.ルメール騎手ですが、この記事ではルメール騎手の日本での実績や、彼の年収や家族構成といったプライベートの部分も紹介していきます。
フランス所属騎手時代のC.ルメール騎手とフランス時代
(引用元:https://jra-van.jp/fun/memorial/2001103038.html)
C.ルメール騎手は外国人ながらもJRA所属騎手として日本に馴染みのある騎手です。
彼は現在JRA所属騎手として日本国内を中心に活躍しているフランス人騎手で、彼の騎手人生はフランスギャロ所属時代とJRA所属時代と大きく2つに分かれているのが特徴です。
ルメール騎手は父が元障害騎手ということもあり、騎手の道を目指しますが、父の反対もありフランスの競馬学校に入学することができず、高校に通いながら独自で騎乗技術を目指します。
高校卒業後に騎手免許を取得し騎乗を開始しますが、フランスでも競馬学校に通わずに騎手になるのは非常に珍しいケースです。
当時フランスで騎手学校を通わずに騎手になった場合は、初年度は減量が適用されないという特殊なルールがあり、ルメール騎手も初年度は9勝に終わりますが、減量が適用された2年目以降は安定した勝利を積み上げ、フランスで騎手として着実に実績を積み上げます。
また2002年には短期免許制度を使い日本での騎乗を行うと、その後はJRA所属騎手になるまで、毎年来日し騎乗を行っています。
彼の短期免許制度時代の有名なレースといえば、2005年ハーツクライでの有馬記念制覇です。
当時絶頂期のディープインパクトと武豊騎手のコンビに、初めて土を付けたレースとして有名ですが、この有馬記念制覇がルメール騎手の日本国内初GⅠ制覇となりました。
その後2014年までの間にJRAのGⅠを通算5勝、地方でもヴァーミリアンやカネヒキリに騎乗しGⅠ制覇を達成し、短期免許騎手としてルメール騎手の名は日本の競馬ファンの間に広く知られることになります。
そして2014年に有力馬主との専属契約を打ち切られたことをキッカケに、本格的に日本での活躍を目指し移籍することを決意します。
2015年にルメール騎手はJRAの騎手試験に合格し、同年の春からJRA所属騎手として活躍することになりますが、当時フランスギャロでは他国での騎手免許の同時取得を認めておらず、フランスの騎手免許を返上した形でのJRA騎手免許取得となりました。
その後の活躍は現在まで続いており、2010年の武豊騎手負傷後、長く続いたトップ騎手不在の時代から、誰もが認める国内最強騎手が誕生することになります。
C.ルメールが現役最強騎手と言える理由
ルメール騎手の騎手成績はフランス時代よりも、JRA所属時代の成績が圧倒的に優秀です。
移籍してから2021年終了時点まででGⅠ35勝、アーモンドアイなど近年を代表する名馬に数多く騎乗しています。
そして、2017年に騎手リーディングを獲得後、2021年までで5年連続騎手リーディングを獲得。
誰もが認める現役最強騎手です。
またルメール騎手は日本競馬史上で歴代最強騎手の1人とも呼べる称号を2018年に獲得することになりますが、それが「JRA騎手大賞の受賞」です。
JRA騎手大賞とは、年間において「勝利数」、「勝率」、「獲得賞金」の3部門全てで1位を獲得した騎手に与えられる特別な賞であり、日本国内では2017年までは岡部元騎手、武豊騎手の2人のみが受賞経験がありました。
2006年以降受賞者は途絶えてましたが、この年のルメール騎手はGⅠ4週連続勝利や、年間GⅠ最多勝記録である8勝(地方GⅠ含む)、年間最多勝利記録215勝など、これまでの記録を大幅に塗り替える活躍を見せます。
この活躍により見事3部門を独占し、12年ぶりにJRA騎手大賞受賞者となり、日本の競馬史上における歴代代表騎手の1人となったのです。
この記録の難しいところは、勝利数と勝率を両立させることに加えて、獲得賞金という大レースでの活躍も要求される点です。
つまりただ勝利を積み重ねるだけではなく、勝率に求められる1つのレースで勝ち切る精度の高さ、そして大レースでも活躍できる実力が騎手大賞には求められますが、あの武豊騎手でさえ、2005年を最後に受賞が途絶えていました。
近年数多くの記録を更新し活躍しているルメール騎手ですが、この騎手大賞を受賞した点が、彼が現役最強騎手と呼べる最大の理由です。
C.ルメール騎手の年収はいくら?
現役最強であり歴代トップ騎手の1人でもあるルメール騎手ですが、そんな彼の収入は果たしてどの位あるのでしょうか?
ここで詳しく解説していきます。
まずは直近である2021年のルメール騎手の年収を見てみましょう。
騎手の年収の内訳は、以下の3つで構成されています。
・レースの格に応じて騎乗ごとに支払われる「騎乗手当」
・レースの格を問わず1鞍騎乗に対して支払われる「騎手奨励手当」
2021年ルメール騎手の年収の内訳は以下の通りです。
・騎乗手当=約2,300万円
・騎手奨励手当=約1,200万円
この3つを合計し、約2億5,500万円がルメール騎手の2021年度の騎手としての年収です。
ルメール騎手は2022年で43歳になりますが、年齢的にも経験と実力が備わった、騎手人生のピークともいえる時期であり、JRA所属元年となる2015年こそ1億円代に留まりますが、2016年以降は毎年2億円を超える高い平均年収となっています。
正確な金額は不明ですが、JRA歴代で見ても2億円を超える年収を得たと想定できるのは、武豊騎手、M.デムーロ騎手、戸崎騎手そしてルメール騎手の4人だけです。
騎手の平均年収はだいたい3,500万円ぐらいと言われていますが、そんな騎手の中でもルメール騎手はトップクラスの年収を獲得しています。
騎手でトップの実力を持つことは、必然的に年収でもトップが伴う実力の世界です。
C.ルメール騎手のフランス時代の年収はいくら?
見方を変えれば7年前にフランスから日本に転職したルメール騎手は、会社員に例えるならば転職に成功した勝ち組です。
では実際に移籍前にフランス時代にはどのぐらい稼いでいたのかを簡単に見てみましょう。
彼の現地フランスで稼いだ年間の最高金額は2009年の約520万ユーロですが、当時のレート1ユーロ130円で換算すると日本円で約6億7,600万円です。
この数値は実際の賞金額のため、ここから5%が騎手の取り分となりますが、現地フランスでの騎手の取り分や騎乗手当の金額は不明のため、実際の獲得賞金額を多めの10%で計算すると、6,760万円がルメール騎手のフランス時代の最高年収になります。
一般の会社員よりは多いですが、現在の年収と比較するとはるかに少ないですよね。
フランス在籍時の年収と現在を比較すると約3倍程度上昇していることになり、ルメール騎手はジャパニーズドリームを達成した代表的な外国人といえるでしょう。
C.ルメール騎手の生涯獲得賞金はいくら?
2021年終了時点で平均年収が2億円を超えているルメール騎手ですが、次にフランス時代も含め実際に現役生活を通してどの位の獲得賞金を稼いでいるのかを見てみましょう。
2021年に英国のOLBGが発表した2020年末時点での「ジョッキー獲得賞金ランキング」によると、ルメール騎手は世界中で16番目に獲得賞金を稼いでいます。
総額は約2億8,718万ドル、当時の日本円で約310億円近くを稼いでいることになります。
しかし世界全体で見ると、1位の武豊騎手は7億9610万ドルと、ルメール騎手の3倍以上の賞金を獲得しています。
またトップ10のうち日本人騎手はなんと8人もランクインしていますが、このことからもわかるように、世界中の中でも日本の競馬は賞金が高いことで知られています。
現在のフランスの賞金はいくら?
では2022年現在でフランスと日本の競馬の賞金に差があるのかを簡単に見てみましょう。
フランスの下位のクラスの1着賞金は、日本円で170~200万円程と言われますが、日本であれば未勝利戦でも500万円以上の賞金が獲得できますので、祖国フランスとは2倍以上の賞金額です。
また大レースを見ても、フランスの凱旋門賞こそ1着約3億円(約285万ユーロ)を超える高額な賞金額ですが、フランスダービーに該当するジョッケクラブ賞が1着約1億1,000万円(約85万ユーロ)、歴史のある3歳GⅠパリ大賞典が約4,200万円(約34万ユーロ)です。
最低でも1億円を超える賞金が特徴の日本のGⅠレースとフランスを比べると、かなり賞金額に差があることがわかります。
現在では外国籍で通年の騎手免許を持つのは、デムーロ騎手とルメール騎手ですが、2022年には「美人過ぎる騎手」として知られる女性のミシェル騎手が、騎手免許試験を受験するようですが、日本の高い賞金額はやはり外国人騎手にとって魅力のようですね。
C.ルメール騎手の家族構成は?
日本にきて大幅な収入UPを果たしたルメール騎手ですが、彼の家族構成について簡単にみてみましょう。
ルメール騎手の自宅は京都にあり、現在嫁と子供2人で一緒に暮らしています。
奥さんの名前はバーバラさんでフランス人、長男のルカ君と長女のアンドレアちゃんとの4人家族です。
ルメール騎手が日本に移籍する際に、バーバラさんと子供と一緒に日本に移住しています。
元々バーバラさんも父が騎手を持ち、競馬の写真家として活動していたことから、彼の仕事内容に理解があったこともあり、すぐに賛成し家族全員で日本への移住を決断したようです。
また現地のフランス人学校に子供を通わせることも前提だったため、栗東に近い日本の京都という環境は最適だったようですね。
バーバラさんとは2005年に結婚していますので、2022年で結婚生活17年目になりますが夫婦円満のようです。
バーバラさんはルメール騎手と歳が同じで2022年で43歳、ルカ君が17歳でアンドレアちゃんが15歳ですが、2人の子供は京都のフランス人学校に通っています。
フランス時代は毎日レースに騎乗していたようですが、日本に移住してからは中央競馬は土日に開催されるため、平日は子供たちと一緒に過ごしているようですね。
父はフランス人のパトリスさんで、ルメール騎手のセカンドネームと同じです。
パトリスさんは2017年には息子を尋ねる形で来日し、その時の写真はネット上で確認することもできます。
また2022年にフランスに帰国する際は、「家族に3年ぶりにあってないので帰国する」と言っていたので、ルメール騎手は家族を大事にする性格のようです。
上述の通りパトリスさんの現役時代はフランスの障害騎手として活躍し、その父の背中を見てルメール騎手も騎手を志すようになったと言われています。
父のパトリスさんは障害騎手という事で体格もルメール騎手よりは大柄で、当時小柄だったルメール騎手の体形からケガを心配して騎手学校に通うことに反対したと言われています。
ルメール騎手はその後一般の学校に進み、アマチュア騎手としてアマチュアレースでの騎乗と学業を両立し、数多くのアマチュアレースに勝利しますが、この頃からパトリスさんは、彼の騎手になりたいという意思の強さを認め、息子が騎手になることを了承します。
また父だけでなく母方の叔父も障害騎手だったと後に本人が語っているように、ルメール騎手は競馬と繋がりのある一家に産まれたようですね。
ルメール騎手本人も家庭と仕事のバランスの両立に力を入れているようで、移籍の経緯などを見ても家族想いの人柄が伺えます。
ルメール騎手が日本で活躍できた理由
2019年にはフランスで数多くのリーディングを獲得しているC.スミヨン騎手が、8年ぶりに短期免許で来日したことで話題になりましたが、この時のインタビューでスミヨン騎手は、ルメール騎手の日本での活躍の理由を分析し語っています。
スミヨン騎手は「ルメールの騎乗ぶりがフランスにいるときと変わったとは思わない。短期免許で来ていたときより、日本の競馬に合わせているとは思うけど、基本的には変わっていないよ。」と語りました。
このインタビューからわかるように、ルメール騎手は日本に来て騎乗技術の進化を遂げたのではなく、騎乗技術は元から高いが、日本の競馬に上手く順応できた点が、活躍できた理由とスミヨン騎手は考えているようです。
確かに同じく2015年からJRA所属騎手となったデムーロと比較すると、デムーロ騎手は豪快な騎乗に加えて勝気な性格や派手なガッツポーズなど剛のイメージが強く、ルメール騎手は騎乗こそ大胆ですが、丁寧なインタビューや控え目な態度から柔のイメージが強いです。
様々な理由から活動の場を関東に求めることとなったデムーロ騎手と違い、栗東を拠点に社台グループの一流馬の騎乗が絶えないルメール騎手は、今後も数多くの有力馬に騎乗することが想定できるため、今後も日本での安定した活躍が期待されます。
まとめ
今回は2022年現役トップ騎手のルメール騎手について、彼の年収や家族構成を彼のフランス時代も含めて解説しました。
日本の歴代騎手の中でも最高の年収を獲得しているルメール騎手ですが、いまだ43歳という働き盛りの年齢ですので、これからもさらに稼ぐことが予想されます。
しかし最新のインタビューでは2人の子供さんをヨーロッパの学校に通わせると言っており、今後日本で騎乗を続けるかフランスに移住するか迷いがあるようです。
この迷いが影響しているのか2022年10月の段階でリーディング5位の成績に甘んじています。
日本の競馬ファンとしてはルメール騎手に長く日本で騎乗して欲しいところですが、家族を大事にするルメール騎手だけに、フランスへの移住も十分に考えられます。
今後の彼の動向には注目したいところですね。